ルールをそっと脇に置く

私はこうして毎日ブログを書いているくせに、他の人のブログやホームページその他のものを読みに行くということがほとんどないのです。傲慢というのか何というのか…。

ミクシィにしてもフェイスブックにしても、はたまたツイッターにしても、自分にとって都合のいい記事だけを拾い読みする程度で、他の人がそこでどんなことに興味を持ち、何を伝えたがっているのかということに無頓着なのです。

結局のところ、自分のブログをアップするためだけに使っているわけで、早晩そうしたSNSやツイッターなども、そのうちにはまったく使わないようになるのだろうと分かるのです。

マメさが欠けていると言ってしまえばそれまでなのですが、どうも元々が人との関係性について、あまり貪欲なものを持っていないのだろうと感じています。

セッションにいらっしゃるクライアントさんの中には、友達があまりいないということを否定的に捉えている人がいますが、私も特別に親しい友人というものがいません。

仕事を絡めずに会う人がまずいないと言った方が当たってるのです。それでも、少しも不自由を感じているわけでもないですし、恥ずかしくも感じません。

年賀はがきを自分から出すということもほとんどしなくなっていますし、人の関わりの希薄さに今更ながら驚きます。けれども、人生にはこうでなければならない、というルールなどはないのです。

この社会のルールを無視していいのかとか、人との間の義理を欠いていいのか?など、勿論全く考えないわけでもないのですが、結局そういうことをいくら考えたところできっと長続きしないのですから仕方ありません。

最終的には、自分がどうしたいのかということに行きつくわけです。自分の自由をできるだけ尊重したいのですから、あとのことは何がやってきても受け入れるということですね。

最期に息を引き取るときにも、誰かに看取られる必要も感じていないので、どこかで野垂れ死にすることになっても、いいのかなと思っています。

あなたの人生がいくら価値あるものだとしても、究極的には一つの物語でしかないのです。そのことに深い理解があれば、きっと人は孤独を愛することができるのだと思うのです。

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