不可能なチャレンジ

この世界には、チャレンジできることは山ほどあるのですが、その中で決してチャレンジしてはいけないものもあるのです。

それは、不可能なことです。つまり、どれほどチャンレンジしてみたところで、元々実現不可能なことであればどうしようもないので、それは単なる無駄骨に終わってしまうのです。

例えば、AがAになろうとすることは不可能なことの典型ですね。AはそのままでAなのですから、Aになろうとすることは無意味だし不可能なこと。

それはAがBになろうとすること以上に不可能なことです。でもなぜそんな無駄なチャレンジが起きうるのか?

それはAであることを忘れてしまい、元々の己の実存であるAに憧れ、Aになろうと間違った目標を作り上げてしまうということです。

だからAがAになろうとしているということは、当の本人は自分のことをAではないと信じ込んでいるということです。

だからこそAになろうと努力することができるのです。だからこの目論見は100%失敗に終わるのです。

何度も言いますが、この努力は無駄なのですが、無駄な努力でもとことんやるのであれば、無駄ではなくなる時がやってきます。

それはどれほど努力したところで無理だったと気づくとき。そのときにこそ初めて努力はいらないという大切なことに気づくことになるのです。

と同時に、己の実存はAだったということにも気づくことになるのですね。

3 Replies to “不可能なチャレンジ”

  1. とことんやって限界まで来た時に「あっ!わかった!」という気づきがありました。その時は世界がひっくり返ったような別世界にいるような気持ちになりましたが、もう今ではその感覚は薄れてしまっています。そんな気づきがあってもまだまだ自我に振り回されていますので、自分の思い過ごしではと思ったります。
    まだこの先も、大小の気づきがありながら悟りに向かっていくのでしょうか。
    気づき難民の人も沢山いるのかもと思う今日この頃です。

    1. 気づきの体験を自分の思い過ごしだと過小評価する必要はないと思います。けれども、気づきは何度でも来るはずです。仏陀のように、何年もの苦行の末に、その苦行が無駄だったと気づいて覚醒するといったことは、余程のことをしない限りはなかなかやってこないと思いますので。

  2. 気づきは何度でもくるものなのですね。
    まだまだ先に、本当の覚醒が待っていると
    それをいつかの楽しみにしていたいと思います。
    有難うございました。

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