人は誰でも探究者

人は誰でも探究者なのです。一体何の探究をしているかって?それは、自覚があろうがなかろうが、自分は誰か?自分とは何か?という探究です。

まさか、自分はそんな愚にもつかないことにはまったく興味もないし、そもそも自分は自分だろうが…、って思っている人がほとんどかもしれません。

けれども、究極的には誰もが自分の存在証明をしたくて、飽くなき探究を続けているのです。勿論、その形は千差万別ですけれど。

存在証明というのは、自他共に認めるこれぞ自分!というお墨付きをもらうこと。自己証明、つまり確固としたアイデンティティを得ることですね。

ある人は、この社会の中で人よりもよりお金を儲けることで、またある人はより優れた能力を身につけることで、あるいは人格を磨くことで。

そして、恋愛も実は根っこにそれがあるのです。愛されるということは、自己証明になると感じるからですね。誰かに愛されて、自分の存在を安定した確実なものにしたいのです。

そして、こうした存在証明の探究は生きている限り、ずっと繰り返されるのです。なぜなら、それで証明しようとしているものが、真の自分ではないからです。

偽物というのは、ずっとサポートし続けなければならないのです。放っておけば、すぐにでも化けの皮が剥がれてしまうからです。

逆にあなたの真実の姿とは、どんな努力も必要なくずっとそれで在り続けるだけです。そこに一体どんな証明の必要があるというのでしょうか?

外側の何かを使って自己証明することのバカバカしさに気づいた人は、その努力を内側へと向きを変えることになるはずです。

そして、直接的な自己探求へと進むことになるのです。どこまでもどこまでも、内側を奥深く進んでいけば、自分の真の正体と出会うことになるのです。

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