何も得ることはできないし、何も失うこともできない

赤ちゃんは丸裸で何も持たずに生まれてきます。だから、しばらくの間は親や周りの環境によって、食べ物が与えられ、着るものが与えられ、安全に過ごせる場所も提供されます。

ところが、成長するにつれて、自分が欲するものを自分の力で手に入れようとし出します。与えられるだけでは満足できず、また周りも自分の力で手に入れられるようにと促すからです。

そうして、欲しいものは努力して手に入れるという人生が始まるのです。お金が欲しければ、働いて手に入れるし、名声が欲しければ、頑張って人一倍成果を出すために努力するのです。

そうやって、私たちは欲しいものを頑張って手に入れることで幸せになれると信じ込んでしまうのです。そのうちに、いくら努力をして何を手に入れようとも、満足していられるのは一時的なことだと気づいてしまいます。

さらに、どれほどのものを手に入れられたとしても、死ぬときには生まれた時と同様に、何も持っていくことができないことを知っています。

だからこそ、人によっては物質的なものを求める代わりに、精神的な満足を得ようと考え出すのです。それはつまり、物質を介さずに深い心の平安を手に入れようとするということです。

精神修養を積んだりして、悟りの境地に到達したいと望むようになるのです。けれども、どちらにせよ何かを求めるということでは一つも変わってはいないのです。

物質的な欲望が精神的なものへと目的が移っただけの話しです。あなたが本当に手に入れられるもの、それはあなた以外の何かに違いありませんね。

あなた自身を手に入れるということは不可能なことです。その上で、あなたの本質である全体性に意識を向けるなら、あなたは何も得ることはできないし、何も失うことができないと気づくはずです。

私たちが真に求めてきたもの、それは決して手に入れることのできない私たちの本質だったのです。これほどの冗談もないでしょうし、これほどの幸運はほかにはありません。

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