依存するマインドを見る

「共依存」という言葉が一般的に使われるようになって久しいですが、要するに依存者に依存するマインドのことを言うのです。

自分に依存してくる人をそばに置いておいて、あれやこれや世話を焼いたり面倒をみたりして、しっかりと自分に依存させるのです。

そうして、自分の存在価値を見出そうとする自己防衛の一種なのです。私の母親もそういうタイプでした。

子供のころは、ただの心配性、世話焼き、過干渉だと思っていたのですが、その根っこにあるのは共依存だったのです。

私自身、必要以上に世話をやいてもらったおかげで、依存的な子供に育てられた自覚があるのですが、母親が怖い人ではなかったために、救われたのです。

世話を焼かれて都合のいいときには、それに甘んじるし、それが居心地悪いと感じたときには、嫌だと言うことができたからです。

今思えば10歳くらいのときに、これはまずいと気づいて少しずつですが依存から離れていくことができました。

母親は、子供が依存して来なくなったので、父親を依存者として利用したのです。あらゆる家事仕事をすべて自分でやることで、父親は何もしない人になったのです。

父親が亡くなってそのことが明確になりました。母親が一人になったとき、自分のためには一切の料理をしなくなったのですから。

そうなると、もうどこにも依存者がいなくなってしまったので、共依存が消えて、ごく普通の依存だけが残ったのです。

今は食べ物を買うことで不安を解消しようとする依存が強くなったようです。冷蔵庫の中にたっぷりと食べ物があっても、それを都合よく忘れて次々とお弁当などを買ってくるのです。

これもいわゆる買い物依存として捉えることができるでしょうね。自分がどういう状態にあるのか、それを見るということができなければ治ることはありません。

やはりできる限り若い頃から、意識的である練習をするということが大切なのだと思い知りますね。

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