傷口の中に飛び込む

幼い頃の私たちというのは、やさしい愛の心を沢山持っています。それは、勿論私たちの本質が愛そのものだからです。

けれども、それは裏を返せば無防備に生きているということにもなるわけで、それだけ心に大きな傷を負うことになってしまうのです。

つまり、私たちはどれだけ明確に覚えていられるかは別として、幼い頃にこそ多大な傷を心に負ってしまっているということです。

いつしか、どのようにしたら自分を防衛することができるか、どうやったらもうこれ以上の傷を負わせられずにいられるのかと、考えて行動するようになるのです。

そうやって、10歳くらいになるまでの間に自分を守る術をかなりしっかりと学ぶようになるのです。つまり、大人になるまでに、いかにしたら傷つかないでいられるかを知り、実践することになるのです。

その結果、傷そのものをなるべく見ずに済まそうとしてしまうようになっていくのです。傷を負ったという事実すら、認めないようにする場合もあるかもしれません。

傷口は、それを放置しておいて自然に癒えることはありません。そのままにしておけば、必ずいつかはなんらかの方法で、自分に知らしめられることになるのです。

そうして初めて、過去の傷口を真正面から見なければならないということに突き当たるのです。自分で気づく人もいれば、セラピーなどで気づかされることもあるでしょう。

そこでやっと大きなチャンスが巡ってくるのです。本当は、いついかなるときにも傷口を見据えることはできるのですが…。

パックリ開いた痛々しい傷口をしっかり見るのです。そのときに、幼子のような無防備な気持ちを思い出すことです。

決して傷口を何とかして癒そうとは思わないことです。ただただ、その傷口に近づいて行き、その中に深く入っていくのです。

それができた人だけが、その傷口の奥には本当に何もなかったんだということを知ることができるのです。それは同時に、自分は誰でもないし、本当はどんな物語もない、ということにさえ気づくことになるのです。

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