孤独という的外れな思考

多くの人々が愛の世界に執着しつづける。少数の人がそこから逃れ瞑想の世界に執着しつづける。禅は言う、もし瞑想の世界に執着したら、自分の孤独にしがみつきはじめたら、あなたは依然真実そのものからはるかにかけ離れていると。共にあることが虚偽だとしたら孤独が真実でありうるはずがないだろう。

by osho

共にあることも孤独であることも真実ではありません。なぜなら、そのどちらも個ありきだからです。個があれば、共にあることもできるし、孤独であることもできるのです。

その基本中の基本となる個というものが、思考からやってきた幻想でしかないのであれば、孤独も幻想に違いないと分かればいいのです。

そうはいっても、孤独感は実際にやってくるわけで、それをどうしたらいいのだろうかということですが、できる限りこれまで続けてきた孤独感を誤魔化すのだけはやめましょうということ。

物理学の世界では、もう随分前からこの宇宙のすべてが素粒子から成り立っているということを発見しています。

まだ全部の素粒子が発見されたとは言えないのですが、それでも私たちの身体であれ地球であれ、太陽であれ、なんであれ素粒子からできていることは疑いようのない事実です。

しかも、素粒子というのは永遠にとどまるような存在ではなく、常に現れたり消えたりを繰り返しているような、非常に曖昧な存在なのです。

つまり、素粒子からできている私たちの身体も、連続して存在しているようにみえて、本当は現れたり消えたりを繰り返しているのです。

試しに、スケールを素粒子レベルにまで落として、この世界を眺めてみれば、どこに個などがあるでしょうか?そんなものはどこにもないと分かります。

宇宙のどこにもどんな境界もないということに思いを馳せてみれば、孤独というものがどれほど的外れなものか分かりますね。

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