幸せとは、探せば見失うもの

私たちの幸福感というものは、人によってさまざまで一様ではないかもしれませんが、それでもほとんどの人が幸せを手に入れようとしているはずですね。

けれども、本質的には私たちは決して幸せを手に入れるということはできないのだと気づくことです。あなたが、今後どうにかして幸せに「なる」ということはできないということです。

この世界でどんなことが、あなたの身の上に起ころうとも、そのことがあなたを永遠の幸せへと連れて行ってくれるということはないということです。

もっと分かりやすく言えば、人物としてのあなたが経験するありとあらゆる現象が、あなたを幸せにするのではなくて、あなたの本質そのものが幸せなのだということです。

幸せで「ある」ために、どんな努力も必要ありません。あなたが、あなたで在るために何かが必要であるはずがないからです。幸せとは、求めているうちは見つけることができません。

これは、本当に皮肉なことですね。探すという行為そのものが、それを見失わせてしまっているからです。おでこの上のめがねを必死になって探しているようなものです。

そうした誰かの姿を客観的に見れば、笑いが込み上げてくるのと同じように、どうやったら自分が幸せになれるのかと一生かけて追い求める姿は、的外れで滑稽でしかないということです。

そんな冗談のような人生が悪いわけではありませんが、そろそろ本質に気づくときがやってきているのではないかと思います。そのためには、努力はいりません。

ほんの少し、何かを探すことをやめるだけでいいのです。精神的に何もしないでいるとき、私たちはようやく自分の本質に気づくのです。気づかざるを得なくなるだけです。

探すことをやめた注意の向かう先は、必ず自分に一番近い場所、つまり自分の本質へと向かうことになるのです。それは、見つけるのではなくて直接体験することになるのです。

その時の感想は、「なんだそういうことだったのか!」となるはずです。

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