幻想を幻想と見抜く

アインシュタインの残した言葉に、次のようなものがあります。「現実は幻想に過ぎない。非常にしつこいものではあるが…。」

しつこいという意味は、とても幻想とは思えないし、どうやって幻想であるということを証明すればいいのか難しいということかもしれません。

幻想を幻想だと見抜く方法は、たった一つしかありません。それは、じっくりとそして正直に、誠実にそれを徹底的に見ることです。

残念ながら、しつこいモノにしているのは他でもない私たち自身であるということです。なぜなら、幻想は幻想そのものによって作られるものではないからです。

幻想とは、単に幻想ではないと信じ込むことであると言えますね。ただ、しつこいのはその信じ込む心がしつこいところから来るのです。

一度信じてしまったモノを、私たちはそれほど面と向かって見ようとはしません。なぜなら、それが真実かどうかを見極める理由がもうなくなってしまうからです。

というよりも、真実でなくなってしまったら、信じた自分を否定することになってしまうため、それはとても都合の悪いことでもあるわけです。

だからしつこいモノとなってしまうのです。現実を幻想だと見抜くことができたとしても、本当は何も都合が悪くなるようなことはありません。

その幻想の中で、肉体が消滅するまで喜んだり悲しんだりして、生を満喫すればいいだけだからです。ただそれだけのことです。

焦らずとも、いずれはこの現実は終わりを迎えます。なぜなら、幻想とは間違いなく一過性のものだからです。

そして幻想を信じてしまった自分も、幻想を幻想と見抜いた自分も、どちらにしてもその自分の本質は一過性のものではありません。だから、どちらでもいいのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA