思考が二元性を生む

昨日の続きのような内容になりますが、この世界では表があれば常に裏があるのです。コインの表面が表でも裏でもない、ということはありませんね。

それと同じように、すべてが二つのうちのどちらかなのです。好きか嫌いか、右か左か、常識的に考えれば、右であると同時に左でもあるなどということはありません。

こうした世界の性質というのは、思考から発生したものであって、決して真実というわけではないのです。思考が活躍できるところは、二元性の世界に限られるのです。

真実は、ただ在るのですから、上か下かのどちらかということもありません。昨日のブログで書いた、否定しないということは、肯定でも否定でもないということ。

それが真実の方に向いている態度だということです。思考を脇に置くことが出来れば、それは当然の結果としてやってきてくれます。

そこには、何の力みもありませんし、何の正しさも、何の努力も必要ではありません。好きの反対は嫌いですが、そこに思考(防衛)がなければ、好きと好きではないがあるだけです。

私の中にずっとある幸福感を表現すれば、それは「不幸ではない」になります。嬉しいことがあって、飛び上がって喜んでいる姿とは異なる安定したものです。

それには、この「不幸ではない」ためのこの世的な理由などありません。だからこそ、永続的なものなのですね。真実とは、永遠のことなのですから。

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