改心

小学生の頃、何年生だったかは定かではありませんが、人の言葉、人の話を聞くというのはこういうことかと分かった瞬間がありました。

自分はどこにでもいる普通の少年だったし、頭も悪くはないし、性格的にも目立った問題はなかったはずですが、きっとその瞬間まで人の話を聞いてはいなかったのでしょうね。

まったく驚くべきことです。それをもう少し深く見つめてみると、自分自身のことと関係のないような言葉はあまり問題なく聞いていたはずなのです。

ただ、自分の心を入れ替えなければならなくなるような、自分の考え方の根本的な部分にかかわるようなことを聞いたとしても、聞こえなかったのだということです。

そしてきっと、その小学生の時に初めて人の言葉を聞いて改心したのではないかと思っています。そのくらい、自分にとって改心するということは難しいことだったのだと思うのです。

性格の素直な人は、人の言葉から自分の考え方を改めることが簡単にできるのかもしれませんが、きっと自分は頑固な気質に生まれてしまったために、それが難しかったのだと思います。

頑固さとは、自分の信念、信条、考え方などを簡単には変える事をしないということです。それは自分の内面に手を入れることを恐れるということです。

人の言葉をふんふんとうなづきながら聞いていたとしても、その内容が心の奥まで届く事はほとんどなかったということです。

自分では、明示的にそうした抵抗をしていたという記憶は全くないのですが、無意識の心の防衛をすでに幼いころからやっていたということですね。

こういった傾向の人は成長すると、自分の正当性で自分を守ろうとするような大人になるはずです。そういう人はセラピスト泣かせのクライアントになる可能性大なのです。

人の言葉は聖霊の言葉だと思って、真摯に受け止める態度がとても大切なのです。そこにこそ、重要な気付きのヒントがたくさん隠されているからです。

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