歪んだ眼を開眼する

拒食症の人が体重35kgくらいでガリガリになっていたとしても、鏡に写った自分の姿を見て、もっと痩せなければと思ったりするのです。

それは思い切り歪んだ心の眼を通して見ているからですね。心の眼というのは元々が歪んでいるのです。

そう言った現象を投影と呼んだりします。つまりマインドの強い想いのようなものを反映する形で外界を見てしまうということです。

要するにあるがままを見ていないのです。これは何も拒食症の人ばかりではなく、多かれ少なかれ誰もが必ずやってしまっていることなのです。

投影をしていない人はいません。自我は必ず投影するのです。投影は外側の世界に内面を映し出す現象なので、ひどく歪んだ世界を見ていることになります。

それと同じようにして、自分自身のことについても自我はあるがままを見ることができません。

たとえば他人の存在価値については気づいているのに、自分自身の存在価値には気づけないでいる人がたくさんいます。

他人がある行為をしたときに普通に許すことができるのに、自分がそれと同じことをしたときには決して許すことができないなども同じ理屈です。

長いことかけてでっち上げてきた自己イメージが否定的なものであると、人はそれに影響を受けて自分のことを正当に評価してあげることができなくなってしまうのです。

そうなると可哀想なのは本人ですね。外側に対して投影するにしても、自分自身に対して自己イメージを投影するにしても、私から言わせればあまりにも理不尽です。

一刻も早くその歪んだ眼を大きく開いて、ただあるがままをそのままに見ることができるようになってほしいと思いますね。

2 Replies to “歪んだ眼を開眼する”

  1. あるがままに見ることが出来たら、何事もスムーズなんだと思うのに。
    いたずらに、自我がまわり道に導く。

    したい事をしていたらなにも迷わないし悩まないし、これもまたスムーズに事が進むと思うのにそうはいかない。

    自我が主張したいんでしょうか。
    それならそれで
    どうして主張したいのかを聞いてあげたらいいのでしょうか?
    存在感をあらわにしたいと、そんな事なのですか?

    満たされなかった過去の自分が主張しているという事でしょうか。
    でも何を?
    うまくいかないことを望んでいる自分に気づいてもなお、うまくいかないままです。

  2. マインドの中にいるあらゆる自分に気づいても、なかなかうまくいかないままかもしれません。けれども、まだまだやることはあります。それは、できるだけ継続して気づいている練習です。すごく難しいのですが、それに近づくように日々練習ですね。

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