疑いと不信

疑いと不信は似ているようでいて、実は全く異なるものです。不信というのは、信じるマインドの裏返しであることを見抜くことです。

マインドは常に信じることと信じないことしかできません。その両者は同じコインの表と裏の関係と同じなのです。

「私は人を信じられない」と言って嘆く人がいますが、それは人を信じることしかできないのと同じなのです。どちらもマインドの機能なのです。

一方で、疑いというのは言葉の響きこそあまり良くない感じがしますが、要するに物事への問いかけだと思えばいいのです。

幼い無垢な子供は、なぜ?どうして?を連発するのですが、それは不信からくるものではなく、純粋な問いかけなのです。

問いかけはとても大切な、そして正直な反応なのです。マインド(自我)が成長していくにつれて、この問いかけをすることが少なくなるのです。

そして逆に信じるか信じないかということで結論づけしてしまうことによって、安心しようとするのです。

それがマインドの自己防衛だと気づけばいいのです。信じたり信じなかったりすることから離れるだけで、マインドはその活動を小さくすることになるでしょうね。

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