見捨てられる恐怖 その3

人によっては、この見捨てられる恐怖というものについてお話しをしても、自分には関係ない、それがどういったものかも分からないという場合もあります。

でもそれを額面どおりに信用することはあまりないかもしれません。というのは、この見捨てられ感というのは、誰にでも多かれ少なかれあるものだからです。

逆に、自分にはそういった自覚が全くないという場合の方が怪しい感じを受け取ってしまいます。そういう場合は、概ね違う感覚として感じていることが多いです。

例えばそれは平たく言えば、何だか嫌われているかもしれないというもやっとした違和感のようなものかもしれません。

誰かと一緒にいて、そこに何らかの人との係わりというものがあって、そこで本人にとっては得体の知れない、またどこからやってくるのかも分からない何とも言えないいやな感覚として自覚されるものです。

相手はこんな自分をどんな風に感じたんだろうかということを心配してみたり、ああきっと自分は好かれてはいないだろうなといったような漠然とした嫌われた感なのです。

つまり、相手に嫌われたかもしれない、嫌われたらどうしようといったようなひどく否定的で不安な思いなのです。

これこそがその本人にとっての見捨てられ感だと思われます。嫌われたらどうしよう?という問いのような思いの後を本人が自覚しないできただけなのです。

つまり、嫌われたらどうしよう?→ 見放されてしまうかもしれない、見捨てられてしまうかもしれないという思いに繋がるのです。

本人としては、その最後の部分を感じたくないために、嫌われたらどうしようという中途半端なところで終わりしてしまっているのです。

そのために、見捨てられる恐怖についての実感がないということになっていたというわけです。ご自身の心の中にそういった感覚に該当するようなものがどの程度あるのか、検証してみて下さい。

そして、そういった感覚が大きいと感じることがあれば、そこを重点的に癒していくことで人生が大きく変化することになるはずです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA