透明人間になったら…

先日ネットで「インビジブル」という映画を観ました。題名からして、何か見えないもののお話しかと思ってみたら、人が透明になる、いわゆる透明人間の映画でした。

ちょっと面白いなと思ったのは、初めて透明になった主人公が、とにかく眩しいと言った言葉でした。本人によると、まぶたも透明なので、目をつぶっても明るいままだということでした。

さらに、気づいたのですが、目の中に入ってくる光の量を調整する瞳孔も透明なのですから、すべての光が目に入ってきてしまうわけで、それはもう眩しいのは当然のことですね。

それから例によって、自分が透明人間になれたらどうなんだろうと考えたのですが、女湯を覗くとかいう男子生徒的な欲望のことは一旦脇に置いて、それなりに真剣にイメージしてみたのです。

自分の身体が見えないということは、いつもの状態に比べてもっともっと自分は意識だということを感じることが、誰にでもできるのではないかと思ったのです。

普段、今日一日自分が何をしたかということを回想するときに、大抵自分を身体だと見て思い出しているのですが、そうしたことが減るのではないかと思うのです。

いつもどんなときにも、自分の近くに在り続ける身体が視界から消えたら、何者でもない自分の感覚を忘れなくなるのではないかということです。

自分の内側から自分の顔や頭を見たときに、そこが完全なる透明な領域であるというあの感覚が、いつも邪魔されずに在り続けてくれるのではないかということです。

身体が見えなくなれば、自分が移動しているといういつもの感覚も消えてくれるはずです。自分という意識が、大きさもなく、移動することもない、あの感覚が常にあることになるのでしょう。

誰もが当り前のように、自分の本質に気づくことになるはずですね。透明人間、侮れません。

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