雄弁は銀、沈黙は金

「雄弁は銀、沈黙は金」ということわざがありますね。俗っぽい解釈をすれば、ああだこうだと弁舌を振るうよりも、ただ黙っていたほうがいいときもあるというくらいでしょうか?

もっと深い解釈をするなら、言葉というのは確かに人類が発明した偉大なものですが、もっと偉大なのは沈黙だという意味です。

人間は言葉を編み出したおかげで、より複雑で高度な思考を使えるようになったことは間違いないことですね。

勿論、言葉を使わなくても思考することはできます。けれども、私たちは気づいていようがいまいが、いつも言葉を使って物事を考えるクセがついてしまっているのです。

つまり、「思考=言葉」といっても過言ではないくらいになってしまっているということです。ということは、沈黙というのは思考の無い状態のことを指すのです。

したがって、このことわざにおいては、頭で考えていながら、言葉に出さないような沈黙のことを言っているのではありません。

「沈黙」とは、思考の外に出るということを意味しているのです。それが金であるということは、それこそが真理であるということ。

思考は便利なツールではあるのですが、だからといって思考を過大評価してはならないのです。思考は、万能でもなければ本質的などんな力も持ち合わせていないからです。

思考は、真理からやってくる一つの現象に過ぎないのですから、思考によって真理を探究しようとすることくらい、お笑いでしかないことはありませんね。

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