あるがままを受け入れる その2

あるがままを受け入れると言っても、何でも丸ごと信じるということでもないし、相手の言いなりになるということでもありません。

自分が見たり聞いたりしたこと、つまり知覚したことをそのまま受け取るということです。解釈や判断をすると、そこに必ず拒絶が入り込んできてしまいます。

なぜなら、私達が何かを判断するときには自分の心の中に巣食っている恐怖を基にしてしまう傾向があるからです。

よく誰かの意見に対して賛成か反対かを問われることがありますね。そうした場合、あるがままを受け入れるとすると、正直自分の中では賛成でも反対でもないなということがあります。

どちらでもないなんて、自分というものを持っていないし優柔不断だよと思われてしまうかもしれませんが、判断しないでいるとそんな感じになるのです。

否定をしないという気持ちになりますので、反対ではないのでどちらかというと賛成の方に回るということになるのでしょう。

しかし、この状態はノーを言うことができないイエスマンとも違います。なぜなら、はっきり断ることができない人の場合はその裏には恐れがあるのです。

また、あるがままを受け入れるとは比較するということからも遠のきます。何かと比較してしまうと、必ずそこにはなんらかの評価結果が出てしまうからです。

もともと、比較する目的は解釈や判断するための材料を入手するためなのです。ですから、比較しておいてそのままを受け入れるということは不可能な事ですね。

どんなことでも、そのままを受け入れるということは現実的ではないと考えがちですが、きっとこうしたことも日々練習を積むことで慣れていくはずです。

そうした心の筋トレを是非続けていきたいと思います。きっと、周りで起きることに心がざわついたり、いやな反応を起こすことが激減するはずです。