羨望と嫉妬

自分の場合、気づいていることがあるのですが、それは誰かのことをあまり好ましく思っていないという場合には、必ず自分を防衛しなければいけないと思っているということです。

相手がどんな人であろうと、そうしたことには無関係のようです。とにかく、自分の何かが脅かされる危険があると察知したときに、その人のことを好ましいとは感じなくなるのです。

こうしたことは冷静に考えてみると、相当に昔から変わらずにあったということが分かります。子供の頃からであることは確かですね。

この独りよがりはなかなかたちが悪いですね。なぜなら、客観的に見たら、ああこの人いいなあという場合であっても、このことが一度発動してしまうと好ましく感じなくなってしまうのですから。

羨望と嫉妬は紙一重なのかもしれませんね。それでも最近は、少しこのこと自体を客観視することができるようになってきたおかげで、大分緩和してきました。

すばらしいものはすばらしいと、自分と比べることなく思えるようになってきました。それは、その素晴らしさが実は自分の一部であるということに気づいたからです。

自分の周りにいる人達は、自分より進んでいるように見える人、自分よりもすごく能力の高いと思える人、自分より人格が数段上だと思える人などがウヨウヨいます。

そうした人達は、自分の知覚の中に存在しているわけですから、自分の内面を投影しているに過ぎないわけです。

ということは、自分の一部であることに違いないと思えるようになってきたことで、それまで感じていた嫉妬やそれに付随する自己嫌悪と防衛せねばという感覚が減ってきたということですね。

誰のことも好ましく感じることができたら、本当にこの世界は楽しいところだと感じることになるでしょう。今はそれを目指して毎日、コースのワークを続けています。