誰かを守ろうとするとエゴが活性化する

普段はとても穏やかで、怒りを表に出すこともないような人なのに、友人が何らかの被害に遭ったとなると、その加害者に対して猛烈に怒りを露わにする人がいます。

みなさんも、そういう人のことをすぐに思い浮かべることができるのではないでしょうか?あるいは、もしかしたらみなさん自身にも、そうした一面があると自覚できる場合もあるかもしれませんね。

これは、元々怒りを表現するということに抵抗する心があって、無意識的に怒りを抑制してしまうのですが、友人などその人にとって大切だと思える人に関する場合には、その抑制が取れてしまうことが原因です。

つまり、自分自身のことでは簡単には怒れないことでも、大切な人の場合には怒る大義名分ができてしまうということなのです。

そのため、ブレーキが効かなくなってしまい、突如として激しく怒りだすという現象が起こるということです。

自分以外の誰かを守るという大義名分は、怒りというエゴを思う存分活躍させてしまうことになるのです。

私自身も、最近毎日のように、そんな経験をしています。股関節を骨折して入院している老齢の母親に会うたびに、自分が守らねばという気持ちがどこかにあるのでしょうね。

そうなると、病院の環境やらナースのみなさんやら、医師の方々、はては駐車場のおじさんなど、ありとあらゆる人たちの中に敵意のようなものを感じてしまうのです。

勿論それは自分の中にある敵意の投影であることは、良く分かっているのですが、弱っている母親を守ろうとすると、そこにエゴが相手を攻撃する大義名分ができたとみるのです。

そうして、いつも誰かを必要以上に敵対視しようとしている自分に気づきます。この思考や感情を観察していると、なかなか面白いものがあります。

それでも、そんな中にあって必ず愛を感じさせてくださる人というのがいるものです。そのときに、敵を見つけようとしていたエゴの心が洗い流される思いがして、救われますね。