至福こそあなたの本性

唐突ですが、今あなたは自分の事を幸せだと思っていますか?はい、幸せです!と答えたあなたに質問しますが、その幸せの訳(わけ)を説明できるでしょうか?

もしも、これこれしかじかだから、私は幸せなんだと言えるのなら、その幸せは残念ながらそのうちには消えて行ってしまうでしょうね。

なぜなら、この世界にずっと続くものは決してないからです。言葉で説明できるということは、他人と共有できるものであって、それは表面的なものに過ぎないのです。

それは海面に出来ては消えて行く波のようなものだと思えばいいのです。その一方で、幸せな感覚がどこからやってくるのか説明できないという人もいるかもしれません。

そのような言葉で説明できないもの、つまり他人と共有することが難しいもの、そこにこそ本当の幸せ(それを敢えて至福と呼びますが)があるのです。

至福とは完全なまでに個人的なものなのです。どんな言葉を使ってもそれを人に伝えることはできないし、自分自身の中でも、それが何なのか分かりません。

敢えて言えば、至福とは自己の本質そのものであるということになるでしょうね。本質が永遠であるから、至福も永遠なのです。本質と至福は同義語です。

それにはどんな感動も興奮も何もありません。だって、何も無さだからです。無と至福も同義語だなんて、不思議なことですが、そうなんだから仕方ないですね。

幸せになろうと頑張ることに、いいも悪いもありませんが、それでも常にそれを求めて頑張るあなた自身の深みには、いつだって至福があるということも忘れないことです。