見上げるか、見下すか

残念ながら、この世界には純粋な愛というものはほとんど存在しません。どれほど愛に違いないと感じているとしても、多くの不純物がそこには含まれているのです。

親が一生懸命子供のことを思って、愛情たっぷりに育て上げるとしても、それでも純粋な愛とは程遠いと思って間違いありません。

親の気持ちに余裕がなければないほど、不純物は増えて行くのです。愛は必至になることがないからです。子供を猫可愛がりする親がいますが、それはまるで飼い主とペットの関係のようです。

飼い主としての親は、ペットとしての子供を一心に可愛がるのですが、それは愛というよりも愛着や愛情の方だと思えばいいのです。

ペットのように飼育されて育った子供は、人格否定されることになります。なぜなら、人間はどこまでいっても人間であって、決してペットに成り下がることはできないからです。

飼い主の期待に沿うように頑張ってしまえば、自己表現ができなくなって自己犠牲の塊りのような人生になってしまいます。そのような人生では、人と自分を対等に見ることができなくもなるのです。

常に、下から見上げる関係性を作り出してしまうのです。そして、たまにはそれがひっくり返って、今度は見下して相手をコントロールする側へと転換するのです。

見上げるか、見下すか、二つに一つの関係性だけしか作ることができなくなってしまうということです。対等な人間関係を作るのが難しいという自覚があるなら、幼い頃の親との関係を疑ってみることです。

そして、対等な関係性をつくるために必要なことは、相手のあるがままを受け止めること。勿論、その前にあらゆる自分の心の声も受け止めるのが大前提ですが。