今日もシンプルに…
自分のことを我が儘だと思っている人が時々いらっしゃいます。
そういう人に限って、決して我が儘ではないし、
無邪気さなどどこかへ隠してしまって生きてきたのです。
本当の自分の気持ちに気づくことなしには、
癒しを進めることはできません!
以上
今日もシンプルに…
自分のことを我が儘だと思っている人が時々いらっしゃいます。
そういう人に限って、決して我が儘ではないし、
無邪気さなどどこかへ隠してしまって生きてきたのです。
本当の自分の気持ちに気づくことなしには、
癒しを進めることはできません!
以上
もう10年以上も前の事だと思うのですが、あるクライアントさんがセッションにご両親を連れてきたことがあったのです。それほど多くはないのですが、たまにそういうこともあるのです。
そのクライアントさんは、それまでに個人セッションで私がお伝えしているようなことを、両親に直接伝えて欲しいらしかったのです。きっと自分では何を言っても伝わらないと感じていたのでしょう。
そのお母さんが最初に言った言葉が、今でもとても印象に残っています。そのお母さんが言ったその言葉とは…
「あなた(私のこと)が息子に勧めているような生き方をして、息子がたとえどれほど幸せになれたとしても、私はそんな生き方は絶対に認めません!」というものでした。
幸せになるには、それなりの方法があるということらしいのです。私は無駄だと思いつつ、どんな方法であれ息子さんが幸せになることに反対する必要はないのではないですか?と。
案の定、全く私の言葉がお母さんの中に入っていくはずもなく、言葉は虚しく宙に浮いた状態のままになってしまいました。
それ以来、そのクライアントさんがご両親の話しをすることはなくなりました。いい意味で見切りをつけることができたということなのでしょうね。
そういう意味では、ご両親を連れて来れたことは無駄ではなかったということです。子供というのは、どこまでいっても親への期待を諦めきれないのです。
いつかきっと分かってもらえる!そう信じて生きているのです。本人にその自覚がなくても、心の奥にいるインナーチャイルドは、そう思っているのですね。
いじらしいものです。けれども、どこかで見切りをつけて、親は親の人生を生きているということを認めて、自分は独自の人生を生きていく決意が必要なのです。
親に認めてもらう代わりに、自分で自分を認められるようにならなければ、未来は暗澹としたものになってしまうことに、しっかり気づくことが大切ですね。
今日もシンプルに…
1. すべての疑問は思考によって作り出される
2. ある疑問が湧き起り、どうしても答えが欲しいなら
3. 1.を見よ!
以上
今日もシンプルに…
自分にとって本当に必要なものはないと気づくと
生活がシンプルになってとても気持ちがいい
時々食事をして、疲れたら風呂に入って寝る
ただそれだけで満ち足りているシンプルさ
エゴはそんなのつまらないと言ってくるけどね
以上
唐突ですが、今あなたは自分の事を幸せだと思っていますか?はい、幸せです!と答えたあなたに質問しますが、その幸せの訳(わけ)を説明できるでしょうか?
もしも、これこれしかじかだから、私は幸せなんだと言えるのなら、その幸せは残念ながらそのうちには消えて行ってしまうでしょうね。
なぜなら、この世界にずっと続くものは決してないからです。言葉で説明できるということは、他人と共有できるものであって、それは表面的なものに過ぎないのです。
それは海面に出来ては消えて行く波のようなものだと思えばいいのです。その一方で、幸せな感覚がどこからやってくるのか説明できないという人もいるかもしれません。
そのような言葉で説明できないもの、つまり他人と共有することが難しいもの、そこにこそ本当の幸せ(それを敢えて至福と呼びますが)があるのです。
至福とは完全なまでに個人的なものなのです。どんな言葉を使ってもそれを人に伝えることはできないし、自分自身の中でも、それが何なのか分かりません。
敢えて言えば、至福とは自己の本質そのものであるということになるでしょうね。本質が永遠であるから、至福も永遠なのです。本質と至福は同義語です。
それにはどんな感動も興奮も何もありません。だって、何も無さだからです。無と至福も同義語だなんて、不思議なことですが、そうなんだから仕方ないですね。
幸せになろうと頑張ることに、いいも悪いもありませんが、それでも常にそれを求めて頑張るあなた自身の深みには、いつだって至福があるということも忘れないことです。
今日もシンプルに…
人生は振子のようなもの
幸せがやってきたと思ったら
次はそうじゃない感じになる
そしてどちらにしても一過性であり
真のあなたは微動だにしない
振子の支点だと気づくのです
以上
今日もシンプルに…
現状に満足してしまったら
もう進歩は望めなくなる、と言う
でもね
今不満があるのなら
その不満はどれほど進歩しても
なくならないということを知ることです
以上
今日もシンプルに…
死によって消えるもの
それはすべての錯覚です
リアルなものは
表面的な生死にかかわらず
ただ在り続けるのです
以上
今日もシンプルに…
あなたが四苦八苦している罪悪感とは
単なる一つの感情に過ぎません
それに多大な力を与えているのは
他でもないあなた自身なのです
思考が落ちたときに
そのことにはっきりと気づくはず
以上
若い頃というのは、当然のことですが過去よりも未来の方がずっと長い時間があると感じていたので、考えることも未来の方へと向かいがちでした。
将来自分はどんな人間になっていくんだろうかとか、どんな仕事をするようになって、どのような人生を生きていくようになるのかなど…。
けれども、年齢を重ねて行くについれて、あまり未来のことについてあれこれ考えなくなるのですね。なぜなら、若い時よりも断然死が近くなっているからです。
それと勿論、概ね自分の人生の先もそれなりに見えてきてしまうからですね。大抵の予想がつくというのか、これから途方もない変化がやってくるとは考えにくくなるわけです。
人によっては、それはつまらないことなのではないかと感じてしまうかもしれませんが、私個人としてはとってもいい感じになってきているのです。
未来を見ない生き方こそ、自分が子供の頃から憧れていたものだったからです。小学校卒業の時の寄せ書きで書いたのが、「明日は明日の風が吹く」だったからです。
そうはいっても、若い頃はなかなかそれを実践することは難しかったのですが、今はそれが自然と身についてきています。それも、未来があまりにも少なくなってきたからだと思うのです。
年齢を重ねると本当にいいことがあります。「明日は明日の風が吹く」、ああいい気持ち!こんなにかる~い感覚になれたのも、この年齢になったからなのかなと。