人生にゴールはない

私たちは、どんなことがあっても、どの瞬間においても、本質的には決して満たされてはいません。不満と欠乏感に悩まされているのです。

そして、それはまだ自分がそのような地点に到達していないことが原因だと考えているのです。つまり、生には目的地(ゴール)があって、まだそこに至っていないのだと…。

それが苦悩の慰めになっているのですが、本当はそんなゴールなどどこにもないということに気づこうとはしないのです。それは、あんまりだからです。

不満と欠乏感はどうやったって、変わらずに常にここに在り続けることになってしまうからです。これは絶望するしかありません。

だから、ゴールがあると信じ続けるしかないのです。ところで、ゴールがあると思ってしまえば、そこにはゴールへの道があるはずです。

道があるなら、その道を踏み外してしまう可能性が出てきますね。それが恐れなのです。その道を真っ直ぐに進んでいる人は、善人、聖人、徳を重ねた人。

逆に道を踏み外した人は、悪人であり、罪人というわけです。このようにして、空想のゴールへの道が、善と悪、正不正を作り出してしまうのです。

ゴールがあれば、それに近い人の方が価値があり、ゴールから程遠ければ、それだけ価値がないという判断も当然されてしまうのです。

人類の苦しみを作り出しているのは、生にゴールという到達点があるという思考なのです。本当は、生そのものがゴールだと気づくことです。

生は手段であると同時にゴールなのです。どこへも行く場所はないし、誰かになる必要も、何かをする必要もないということです。

到達するとか達成するという観念はゴミです。それが、今この瞬間よりも未来を大切に感じさせてしまうからです。ゴールがなければ、未来に意味はなくなってしまいます。

意識を今に戻すことができたなら、ゴールがあると思い込む要因となっていた不満や欠乏感が、未来とともに消えてしまうはずです。