真理は非論理的という理解

15年ほど前に、ある人のヒーリングの授業を受けていたことがあったのですが、その時の先生にこんなことをみんなの前で言われたことがありました。

それは、「あなたはアナライザー(分析屋)です。分析ばかりしていると、ヒーリングの効果が落ちるばかりか、ヒーリングそのものができなくなってしまいますよ!」と…。

その先生が伝えてくれる内容が、どうにも訳が分からなくて、質問ばかりしていたからなのでしょう。仕舞いには、私が手をあげて質問しようとするだけで、会場がざわつくというはめに。

けれども、自分としては逆に何の質問もせずに先生の言いなりになるほうが、不思議な感じがしていたのです。今にしてみれば、そういう人がいるということも理解できるのですが、当時はさっぱり分かりませんでした。

私は分析屋と呼ばれても、何も怯むことはありませんでした。自分がものごとを論理的に考えることは、決して悪いことではないと確信していたからです。

その点に関しては、今でも少しも変わってはいないのですが、ただし、真理は非論理的なものだということにも気づいたのです。

そして、真に論理的な考え方ができるなら、真理が非論理的であるということも、論理的に導き出せるはずだという思いがあります。

論理的に突き詰めていくことで、真理は論理の世界では到底把握することのできないものだということに、論理的に行きつくことができるからです。

逆説的ではあるけれど、充分に論理的であれば、その帰結として真理は非論理的だということの理解がやってくるということです。