どちらでもない自分発見

もしもあなたが今、何等かの悲しみのようなものを感じているとしたら、そこで注意深くいることで、ある不思議な感覚に気づくかもしれません。

それは、その悲しみから逃げるでもなく、それと闘うわけでもなく、ただその悲しみがあるがままにさせておくことで、悲しくも嬉しくもない自分を発見できるかもしれません。

悲しみを対処しようとして自己防衛に走れば、それ以外の自分がいることなど到底気づくはずもありません。そのことに全力を注いでしまうからです。

けれども、何もせずにただその悲しみをそのままにして注意深くあるなら、それと距離ゼロの場所に、もう一人の自分を発見することができるのです。

それは悲しみとは無縁の自分なのです。この発見は特別なものです。なぜなら、自分がどんな状態であろうと、それとは無縁の自分はいつもその近くにいるのですから。

もしもあなたが、頭痛を感じているなら、同じようにして頭痛とは無縁の自分を発見することができるのです。頭が痛いわけでも痛くないわけでもなく、頭の状態とは無縁な自分。

どんなことからも切り離されている、その自分を発見できたなら、人生を今まで以上に深く見ることができるようになるのです。

食べ過ぎて胃が苦しいとき、空腹で辛い時、常にそのどちらとも無縁の自分は必ず発見することができます。そして気づけば、発見された自分こそが本当の自分なのです。

自分の身体とマインドにぴったりとくっついて、常にひも付けされているのに全く影響を受けない自分がいる。その自分に気づいているなら、あなたの身体が死ぬときに、その自分は決して死なないと気づくことになるはず。