真実を邪魔する張本人

神は二がないときに存在する。あなたがいないとき、いつもそこにあった何かが明瞭になる。だが、あなたゆえに–混乱であるあなた、苦悶であるあなた、悪夢であるあなた–まさにあなたゆえに、それを見ることができなかった。あなたは、目のなかの塵だ。あなたは、あなたを取り巻く暗闇だ。

by osho

私たちには、真実を見ることができません。たくさんのフィルターをかけてしか見ることができなくなってしまったからです。

でもそんな言い方よりも、「あなたは、目の中の塵だ。」って言う方が好きなのです。ほんの1mmくらいの塵でも、目の中に入るととてつもない妨害をしてしまう。

か細いまつ毛が目の中に紛れ込んで、それに翻弄されることがよくあるのですが、自分自身が真実を見ることを邪魔している張本人と言われるのは、何とも皮肉なことですね。

「あなたは、あなたを取り巻く暗闇だ。」光の世界を見たいのに、自分という覆いが被さってしまっているので、何も見ることができないのです。

「二がないとき」とはどういうことでしょうか?二とは、たとえば不安と孤独があって、それを何とかしたくて未来に希望を持つ。これが二の意味です。

二とは互いに補完しあって存在するペアのようなもの。もしもあなたが希望を捨てるなら、不安と孤独も消えてしまうのです。

不安や孤独がなければ、そもそも希望を作り出すこともなかったのです。どちらか片方がなければ、もう一方もないのです。このペアを二と言っているのです。

つまり二元性の世界ですね。二がなければ、非二元の世界となり、それを神と呼んでもいいのでしょう。