自我は習慣によって無意識にさせる

自我というのは、いろいろなあなたの行動を習慣にしてしまうという特徴を持っています。

たとえば、朝目が覚めてから出かける支度をするまでの一連の動作があると思うのですが、その時あまり次はこれをやってその次は…みたいに考えないはずですね。

自然と手順らしきものが自分なりに出来てきて、なんとなく自動的にそれが行われていくという感覚があると思います。

それが習慣というものです。習慣の功罪というものを見てみると、たとえば朝起きてコップ一杯の水を飲むのが習慣になっているという場合、これは身体にいいことだとされているので、功罪の功の方だと言えます。

けれども、喫煙が身体に悪いという前提で言えば、寝起きの一服が習慣付いていてなかなかやめられないという場合は、功罪の罪の側となるわけです。

また別の角度からみると、習慣というのは便利なものです。あまり物事を考えなくてもある程度は勝手に身体が動いて必要な処理をしてくれるからです。これも功罪の功の側。

ところが、こうした自覚なしに必要なことを身体がおこなってしまうと、私たちは無意識状態になってしまうのです。これは明らかな罪のほうですね。

そしてそのことが、実は習慣というものの最大の問題だと言いたいのです。何かを習慣化してしまえば、人は意識的であることを忘れてしまうのです。

あなたはどんな習慣を持っていますか?その習慣が作動しているときに、無意識になっているということに気づくことです。

そしてどんなことであれ、習慣によっておこなうということをせずに、常に意識的であるように心がけることが非常に大切なことだということです。