子供の頃の記憶ですが、各クラスに一人くらいは注射を異常に怖がる子がいましたね。普段はごく普通の子なのですが、注射となると大泣きしてしまうのです。
幼い子供は、とにかく自分が痛がるようなことをしてくる大人は怖い人と思ってしまうものです。
そうなると、もう白衣を着た人を見ただけで怖い、悪い人だと決めつけて泣いて嫌がることにもなるのです。
だから病院や歯医者さんではいつも幼い子の必死の泣き声が聞こえてくるのですね。可哀想ですが仕方がありません。
我が子が危険なおもちゃで遊んでいたら、親は当然それを取り上げることになりますが、そんな時にも子供は必死で抵抗してくるはずです。
こうしたことは、クライアントさんとのセッションにおいても起きる可能性があるのです。それは、セラピストとクライアントさんでは見ているところが異なる場合があるからです。
セラピストの仕事は、クライアントさんに気づいてもらうこと。辛いかも知れないけれど、これまで見ないようにしてきたところを見てもらうこと。
だから当然クライアントさんは抵抗するだろうし、嫌な気持ちにもなるのです。否定されたように感じることもあるかも知れません。
プライドを傷つけられたと思うこともあるかも知れません。けれども、危険なおもちゃを取り上げる親の気持ちと同じなのです。
セラピストは、たとえクライアントさんから一時的には嫌われても、あるいは否定されても構わないという覚悟をしています。
耳障りのいい言葉を言っているだけでは、クライアントさんにとって新しい気づきや発見をすることができないからですね。
癒しを目的としたセッションとは、そうしたことがいつも起きています。これを乗り越えるためには、やはり互いの信頼関係がとても大切な要素になってくるのですね。