よほど具合の悪い人でない限り、私たちは毎日どこかに出かけます。家の中にいるにしても、あっちに行ったりそっちに行ったりするのです。
そうやって身体は、止めどなく動き続けるのですが、私たちの心、内面はと言えば、もっともっと常にどこかをほっつき歩いているのです。
昨日に戻ってみたり、今日これからのことに向かってみたり、果ては何十年も昔に戻ったり、明日やはるか未来へも行くのです。
ちょっと立ち止まって見てみればすぐに分かるのですが、それはもう強迫的な感じさえしてしまいます。
なぜ私たちはじっとしていることができないのでしょうか?少なくとも、もう少しゆったりとペースを緩めることくらいはできるはず。
osho がよく言うのですが、その瞬間にとどまるようにしてごらん、と。そうすると、ほっつき歩く理由が分かって来ます。
それは私たちの心が乞食のように飢えているからです。欠乏感の塊のようなものなので、ここにこうしていては満たされないと思うのでしょう。
だからあっちへ行ったりこっちへ来たりしながら、なんとかしてその足りないという感覚を払拭しようとするのです。
かつてサラリーマンだった頃、海外に出張しているときに「パンハンドラー」という言葉を教えてもらったことがあります。
要するに物乞いのことです。あっちへふらふら、そっちへふらふらしながら、食べ物や何かを求めるのです。
時にはじっとしてその瞬間にとどまり、自分自身の内側が本当に欠乏しているのかどうかを、見てみるのも良いかも知れませんね。