私たちは前へ進むということが大好きです。筋トレをしていると、ほんの少しでも昨日よりも今日前進したという証が欲しくなります。
よりウェイトの重いもの、より多くの回数、より綺麗なフォーム等々。目標を設定して臨むと、意欲的になりやすいことも知っています。
ただ漫然と昨日と同じことを繰り返すだけでは、自我は退屈に感じてきて前進してないとなると、途端につまらなくなってしまうのです。
幼い頃からずっと親や先生から、前進することが大切だということを学び続けるのです。後退すると悲しくなって、もっと頑張ろうと思うのです。
誰もがこうしたことを受け入れた上で生きているのですが、目標や目的地を目指す人生にも弊害があります。
それは、目的地を目指している人、目的地に近づいている人は善人で、そうでない人は悪人という判断が生まれてしまうことです。
善人や悪人という表現、あるいは聖人や罪人という言い方が極端だと感じるかもしれませんが、結局のところ私たちはそのように見ているのです。
目的地があるからこそ、成功と失敗があるということも事実です。そのくせ、一度目的地に到達したところで、決してそこで終わることがありません。
すぐさま次なる目的地が必要になるのですから。その上目的地に到達しなかった場合を失敗と呼ぶのです。
目的地は天国と地獄も作り出してしまいます。もしも人生の中に目的地はないということを見抜いたなら、人生そのものが目的地だったと理解するなら、世界が変わって見えてくるはず。
目的地がなければ未来も消えていくのです。生きることそのものが手段であり、目的地でもあったと分かれば、漠然とした不安や焦燥感は消えていくはずです。