自我を見守る観照者

ベタっと100%当事者として生きるのか、つまり自分は一人の個人として生きているということに何の疑問も感じずに生きるのか。

それとも、本当のところはどうなんだろう?という疑問を持ちつつ生きるのか、両者の違いは途方もなく大きいのです。

前者の場合は、完全に人生という物語の主役として生きているつもりになっているということです。

この場合は、物語から抜け出すことは不可能になってしまいます。長い人類の歴史の一員として、過去を引きずりながらの生活となるのです。

後者の場合のように、何らかの疑問を持って、それも否定的な疑問ではなくて素朴な疑問を持って生きることは、異次元への入り口に立つことを意味します。

本当は自分とは一体何なのだろう?なぜ自分はいるのだろう?ただ生まれていずれは死んでいくことが決定しているのに、なぜ大騒ぎするのだろう?

こうした純粋な疑問を持つことで、自我の絶対的な立ち位置というものが揺るぎ始めるのです。

そして、当事者として生きている自分を見守る立場というものがあることに気づくようになるのです。これが観照者、つまりは純粋な意識のことです。

真の自分は当事者ではなくて、それをただ見守る観照者(意識)だという感覚を思い出すことができれば、ベタッとした人生に空間的な感覚があることに気づくようになるはずですね。