着けてる仮面に気づく

一般的には女性はお化粧をしている人が多いかもしれませんが、スッピンで過ごしている人もいますね。

逆に最近は男性でもメイクをしている人がいても、あまり違和感を感じることもなくなってきたかもしれません。

そうした男女差とは無関係に、私たち人間は誰もがそれなりの仮面を被っているのです。しかも仮面は一つではなく、幾つも取っ替え引っ替えしているのが普通です。

その仮面というのは、相手によって無意識に変えるのです。家族に対するもの、友人に対するもの、同僚と一緒にいるときの仮面。

そんなふうに、自動的に環境や相手が変わるたびに、どの仮面を着けるかが決まるのです。その仮面の目的は防衛にあります。

だから癒しというのは、その仮面を一枚ずつ外していくことなのです。といっても、外部から強引に引き剥がそうとしても、仮面はとれません。

なぜなら本人としては、仮面を着けるのは言わば命がけだからです。気がついたら、仮面をつけずにいられるようになるのが理想です。

そのためには、北風と太陽の話しのように自らコートを脱ぎたくなるように工夫することが肝要ですね。

更にその時そのとき、自分がどんな仮面を着けているのかに気づけるようになることが、もっともっと大切なのです。

気づくこと、つまり意識的であることができれば、仮面は自然と不要になっていくものです。

なぜ?からの解放

自我というのは謎解きが大好きなのです。科学者は宇宙の謎を解明しようとして、絶えず研究と発見を繰り返してきています。

無邪気な子供は大抵、「どうして?」を連発して大人を困らせるのです。なぜ?をそのままにしておきたくないという、強い衝動を持っているのです。

分からないことが分かると、なぜかスッキリした気持ちになれるのを知らない人はいないでしょう。

自我というよりも思考の本性だと言った方が正確かもしれませんね。思考は物事をあるがままにしておくのが苦手で、評価したり判断したり解明したがるのです。

それは欲望の一つなのです。それも強烈な欲望。その欲望は思考自体が思考を活躍させたいというところが来るのです。

だから一つの思考は別の思考を呼び込むプロです。そうやって次から次へと思考を連鎖させて、思考が途絶えないようにするのです。

そういった思考の習性から解放されるためには、思考を見つめることが重要となります。見るというのは意識するということ。

意識の覚醒を保っていられたら、思考はゆっくりと沈静化していってくれます。そうなって初めて、謎解きからも解放されるでしょう。

なぜ?をそのままにしておくのではなく、なぜ?が思考もろとも消えてしまうのです。そして内側は静かな至福に包まれるのですね。

紹介特典制度

先日もこのブログでお伝えしましたが、以下のような紹介制度を今年から始めることにしました。

これまではセッションでお会い出来る方というのは、そのようなご縁のある方だという思いがあったので、殊更セラピーを宣伝することはありませんでした。

けれども、先が見える年齢になってきたということもあってか、お会いできるチャンスは広げていく方がいいのだろうという気持ちも出てきたのです。

私らしくない気もするのですが、少しだけでも多くの人にセラピーのチャンスがやってくればいいなと思います。

同時に私自身もより多くの人々とセッションができるとありがたいと思っています。

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『紹介して下さった方に、以下のような特典をご用意しました。

セッション一回分の費用を無料にさせていただきます。

条件:

・特典資格があるのはセッションを一回以上受けたことがあるクライアントさんであること。

・紹介された方(被紹介者)は、ルシッドのセッションを受けたことがない方。

・有効期間は、被紹介者のセッション実施から一ヶ月以内を目安とします。

・本特典制度は何度でも使っていただけます。』

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自己表現を復活させる

言わないと分かってもらえないという、とてもシンプルな法則があるのですが、どこまでそのことを身に染みて理解できているでしょうか?

怖いのに怖くないように振る舞ってみたり、痛いのに痛くないかのような態度でいたり、そういうフリが上手ならば尚更です。

人には決して伝わることはないでしょうね。それは分からない方の責任ではないのです。誰もがみんな自分のことで精一杯なのですから。

言わなくても分かって欲しいは即刻やめるべきなのです。自己表現をするということを第一に心がけること。

そしてなぜ、自己表現ができないのかをしっかり見定めること。そこには必ず明確な理由があるからです。

ずっと言い続けていることですが、自己表現を抑える三つの主な理由があるのです。その一つは恐怖。恐ければ人は何も言えなくなってしまうのです。

二つ目は、罪悪感。相手のことを可哀想に感じたり、罪悪感を感じてしまうなら、自己表現はできなくなるのです。

そして三つ目ですが、これが最も強いブレーキとして働くのですが、それは自己否定なのです。

自分が悪いのだと思えば、どんな自己表現もどんな感情も隠されてしまうのです。だから幼い頃にこれをマスターしてしまうと、自己表現や怒りが完全に隠されてしまうのです。

そうなったら、怒りを沢山溜め込んで、そのために腹立たしい日々を過ごすハメになる可能性が出てくるのです。

もしもあなたが自己表現が苦手だという自覚があるなら、上記の三つの中に原因があるかどうかをよく見極めてみることですね。

理由が分かれば、それを脇に置いて自分の言いたいことや感情が自然に出てくるのを実感できるようになるはずです。

その結果、人生の生きにくさが小さくなっていくでしょうね。

追い詰められたらチャンスあり

我が国日本では戦後70年以上に渡って、幸運にも戦争に巻き込まれることなくやってきましたね。だから今では戦争経験者がとても少なくなってきました。

国レベルでは戦っていないのですが、個々人の内面で戦っている人はたくさんいます。クライアントさんの中にも一定の割合でいらっしゃいます。

一体何と戦っているのか?他人となのか、社会となのか?個々人の本当の戦いというのは、自分自身との戦いなのです。

一見すると、誰かと戦っていたり、環境と戦っているように見えても、その実は自分のマインドの中で戦いが起きているのです。

自分で自分に何らかの圧力をかけたり、何かを強いることで日々が戦いになってしまうということです。

だからリラックスすることができなくなるし、いつも重い荷物を背負ってしまっているような感じがするはずです。

力を入れることよりもリラックスすることの方が遥かに難しいのと同様に、戦うことよりも戦いをやめることの方が断然難しいのです。

なぜなら戦う唯一の理由は、不安や恐怖から逃げようとすることだからです。戦いをやめるということは、その不安や恐怖と直面することになるのです。

だから戦いをやめるためには、勇気と決断が必要になるのです。けれども、勇気がなくても戦いをやめられるチャンスもあります。

それは追い詰められたとき。追い詰められると、人は勇気を使わなくても戦いから足を洗うことができるのです。

きっといつかはそんなチャンスがやってくるはずです。だから、追い詰められた状態になったなら、やっとチャンスがきたと理解することですね。

信頼を見出そう!

信じるためには、それがどんなものであれ信じるに足る根拠が必要となりますね。根拠なく信じてしまえば、盲信と言われてしまうのです。

ところが信頼というのは、どんな根拠も必要とはしないのです。というより、根拠を持つこと自体が不可能なのです。

なぜなら信頼にはターゲットがないからです。ターゲットがないということを直感的に理解することです。

あなたが何かを信頼するという言い方よりも、あなたの本質が信頼なのだという方が真実に近い感じがします。

もしもあなたが自分の内側に信頼を発見するなら、人間(自我)が根っこに抱えている不安や孤独も消えていくことになるはずです。

私たちは不安を安心に変えたい、孤独という恐怖から逃げて安心したいと常に思って生きているのですが、その方法では決して不安も孤独もなくならないのです。

鍵となるのは、信頼なのですね。信頼への深い理解がやってきたら、人間(自我)が抱えているあらゆる苦悩がなくなってしまうでしょうね。

信頼はいつも静かな恍惚感とともにあるような気がします。表現を変えれば、至福感でもあるようです。

意味のない言葉遊びになってしまわないように…、実践あるのみです。ほんの少しの時間でも内側深くに入って、それを見出せるように。

期待がなければ救われる

あなたが仮にオリンピック選手だとして、金メダルを獲ることを期待されるのと、参加することに意義があると言われるのとどちらを選ぶでしょうか?

それは勿論金メダルを獲れる選手だと期待される方がいいに決まっていますよね。誰だってより上位の成績を期待されたいのですから。

あなたが子供の時に、ご両親から何も期待していないと言われるよりも、期待してるからねと言われる方が嬉しいはずですね。

つまり、人は期待することや期待されることに肯定的なイメージを持っているのです。誰にも期待されなくなったらおしまいだと思っているのです。

けれども実は愛というのは一切の期待がありません。なぜなら愛は未来には関心がないからです。今この瞬間に対して、期待するということは不可能だからです。

じゃあ期待というのは一体何なのか?それはズバリ、防衛なのです。自分自身や相手に期待することで、安心を得ようとしているのです。

愛とは無防備のことなので、期待することがないわけです。とはいうものの、自我というのは期待をなくしたらこれまた生きてはいけません。

だからそこそこの期待を持つのは構わないのですが、期待値を高くしているととても生きづらい人生がやってきます。

自分への期待値が高過ぎれば、人生は戦いになるし、惨めさがいつもつきまとうことになるはずです。

そして他人に対する期待値が高ければ、依存が強くなって不満ばかりが募り、これまた不自由な人生になってしまうのです。

一度あなたの期待値を細かく調査してみるといいかもしれませんね。期待がなくなったとき、本当に救われるはずだからです。

マインドは分裂だらけ

私たち人間の生物としての生理現象なのですが、好きな人とは一緒にいたいと思うし、逆に嫌いな人とは距離を置きたいと思うものですね。

このことは人と人との間に限らず、一つのマインドの中でさえ起きるのです。つまりあなたが自分の◯◯な部分が嫌いと感じると、そこから離れようとするのです。

離れようとすると言っても一つのマインドの中でのことなので、具体的には◯◯な部分を抑圧して、それがないことのようにするということです。

そうしてマインドは分裂するわけです。事実、私たちのマインドは分裂だらけなのですが、気づいていない人が多いのです。

なぜなら気づいてしまったら、抑圧している意味がなくなってしまうからです。その都合の悪い〇〇な部分というのにも色々あるのです。

たとえば、辛気くさいとか嫉妬深いとか、受け止めきれない否定的な性格の場合もあるし、感じたくない過去に溜めた感情の場合もあるでしょう。

つまりは自分自身の人格や肉体に関連する場合と、体験と紐付けされているネガティブな感情の場合とがあるのです。

そのどちらもが都合の悪い自分の一部となって、その他の部分から強く引き離されてしまうのです。分裂が大きくなればなるほど、裏側に回され隠された部分がいつかは復讐に転じてくるのです。

それが表舞台に出てきて活躍すると、表側のあなたは人生で大きな困難を迎えることになるかもしれません。

癒しというのは、マインドとは分裂しているものだという事実を深く理解することから始まるのです。

そして、その分裂の原因を探して、それを受け止めることで分裂を小さくしていくことなのです。場合によっては専門家の力を借りる必要もあるかもしれませんね。

自我と社会の相互作用

私たちの自我というのは、社会によって作られると言えます。もう少し正確に言うと、社会によって作られた他(親など)の自我によって作られるのです。

社会によって育てられた自我が成長することで、また新たな社会をもたらすことになるのです。

そしてまた更にその新たな社会が新しい自我を生み出すというように、社会と自我の相互作用が無限に続いていくのです。

だから歴史を遡ってみても、自我が落ちて覚醒した人がほとんどいないのです。彼らの後を追おうにも、その勢力は社会によって葬られてしまうのです。

社会はその子供とも言える自我の存続を守るように組み立てられているので、人類が覚醒することを命がけて妨害してくるわけです。

この社会が問題山積みなのは、当然と言えば当然のことであって、戦争がいっこうになくならない理由も同じなのです。

自我は幸せを求めているフリをして、その実自我そのものの存続を目指しているのです。だから社会が平和になったり、争い事が人類から消えて無くなることはないのです。

そうなったら最後、自我の崩壊が起きるからですね。こうしたことを忘れずに生を生きると、見えてくるものがありますね。

対象は関係ない

もしもあなたが誰かを本当に愛したのなら、それがどんな相手であろうとあなたの中で起きていることに違いはないのです。

世界一の美男子であろうと、誰も相手にしないような不細工男子であろうが、年齢も性別も人種も年収も、一切関係ないのです。

もしもあなたが、信頼に値する人であれば心から信頼できると思うなら、それは間違いかもしれません。

仮にあなたが信頼した相手が誰からも信頼され得る人格者であろうと、多くの人から非難の的になるような人だとしても、それは無関係なのです。

信頼したということがあなたの中で起こったことがすべてであって、そこにはどんな違いもありません。

もしもあなたが、お金を儲けて人より良い生活をしたいという欲望を持っているとしても、神と一つになりたいという欲望を持つことと違いはないのです。

欲望を持つということがあなたのマインドを占領したということに違いはなく、対象は無関係なのですね。

対象に囚われてしまうと、こうした本質的なことを見抜くことができなくなるのです。いつも自分の内面で何が起きているのかを見つめることですね。