ロングレンジで見てあげる

私たちはみなそれぞれの人生という物語の中で生きていると思いこんでいます。

物語というのは、時間と共に物事が連続的に推移して行くものの事です。

私たちのマインドが思考によって時間を作り出すので、それが生きている感覚として定着してしまったのです。

もしも思考が入って来なくなったなら、今、今、今、…がずっと続いて行くだけのはずなのです。

だから思考から抜けて覚醒してしまった場合には、人生という物語は消えてしまうのです。

そればかりか、人生と共に経験したあらゆる悲喜交々、幸不幸など、マインドが経験するすべてが一緒に消えてしまうのです。

これは多くの人にとって難しい事なので、その場合には物語を長期スパンで見るように工夫するといいのです。

例えば可愛いシマウマの子供がライオンの餌食になってしまうシーンを見ると、残酷で心が痛むのです。

けれども視野をうんと広げて見渡せば、それが大切な動物の生態系を維持するものだと理解することができるのです。

それと同じように、起きたことの一つひとつを見て、有頂天になったり後悔したりする代わりに、人生レベルで捉えるのです。

いずれやってくる死をも含めて、トータルで見守るなら、全く深刻になる必要などないと分かります。

死は一切のドラマをなかったことにしてくれるからです。そしてそれは地球上の全ての人に例外を与えません。

もしも自分の内面をゆったりと落ち着いた穏やかな状態にしたいのなら、この方法を実践することをお勧めします。

不思議な症状

先ほど夕食を食べているときに、ながら見していたテレビ番組の中でおや!という情報について説明していたのです。

それは深い眠りに入っていく前に、突然ドカンという爆発音が聞こえて、びっくりして起きてしまう人がいるというものでした。

え?もしやと思って真剣に観ていたら、やはり自分も経験があるアレのことでした。番組の中では、やや深刻な人の症状についての説明だったのですが。

私の場合はそれほどの深刻さはないものの、一度その爆発音で目が覚めてしまうと、それを何度も繰り返してしまうので、それが辛かったですね。

こんなヘンテコな症状は自分だけに違いないと思っていたのですが、今日ちゃんとした名前があると聞いてちょっと安心しました。

それは、「頭内爆発音症候群」という何だかオドロオドロしい名前だったのですが、世の中に認知されていたということが驚きですね。

私はこうした、人に言ってもきっと分かってもらえないような現象を結構持っているのです。たとえば、ある時突然今ここにいるってウソだろうという感覚になったりするのです。

これ、つい先日も久しぶりに体験しました。この症状も子供の頃からあったので、この現実が作り物ではないかということを考えるきっかけになったのかも知れません。

皆さんはどうですか?きっと多くの人が訳の分からない自分だけの症状を持っていると思っているのではないでしょうか?

ただ最近は、どんな現象が起きようとも、それをそのまま見て感じているだけでいいんだなというようになったのです。

所詮は現象界で生きて死んでいく仮そめの姿でしかないので。

理解を邪魔する力

数年前に思い立って本を書いたことがありました。いまでもアマゾンから購入する事が出来ます。

流行りもののような内容ではないので、内容が古くなってしまうような事はないので、継続して初回のクライアントさんにはお勧めしています。

というのもそうそう頻繁にセッションに来ていただくのは難しいので、次のセッションまでに読んで頂くことで癒しへの意識を保って欲しいというのがあるからです。

セッションルームにも何冊か置いてあるので、実際にセッション終了後に購入される方もいらっしゃいます。

そんなクライアントさんが次のセッションに来られた時には、読んだ感想などをお聴きするようにしています。

またセッションの中でのやり取りを通して、本の理解度がおよそ透けて見えて来るのですね。本を全ページ真剣に読んだとしても、なかなか深い理解にまでは至らないのです。

それは理解力の問題ではなく、理解を邪魔しようとするマインドの部分があるという事なのです。生き方や考え方を変えられては困るという強い力が働くのです。

全ての人にとって、癒しが期待通りにとんとん拍子に進んでくれないのも、同じ理由なのです。これまでの自分が消えていく恐怖が邪魔をするのです。

こうしたことをしっかり理解すれば、何度も繰り返し読むことで少しずつですが、確実に理解は深まっていくことも納得出来るはずですね。

1、2度読んだくらいで満足することなく、本の内容を誰かに説明できるようになるくらいまで、読み続けることをお勧めします。

腑に落ちるまでの深い理解、それこそが気づきをもたらしてくれるのであり、それが直接的に癒しを進めてくれるのですから。

人生は実験の繰り返し

私たちは物事が期待どおりにうまく行くことを願っている一方で、失敗したらどうしようという不安や恐れも持っています。

成功するときもあれば、失敗することもあるのは当然のことですが、これは考え方や物事の捉え方が変わると、失敗はないという事が分かるのです。

どういうことかと言うと、何かをなす時には常に実験をしていると見るのです。実験というのは、どんな結果が得られるのかというのがその目的なのです。

つまり実験の結果がどうであれ、結果が得られればその実験の目的は達成されるので、それをもって成功したということです。

この場合に失敗があるとするなら、この実験で判明したことを次の実験に活かすことをしなかった時だけなのです。

例えばある仕事をやってみて、自分には合わないということが判明した時に、失敗だったと捉えるのではなく、やってみるという実験の結果、合わないという結果を手に入れることが出来たのですから、それは成功なのです。

やらなくても結果が分かるようなことはともかく、やってみなければ分からない事はやって結果が出れば、それは貴重な結果を入手できたという成功体験なのです。

人生は実験の繰り返しだと理解すれば、結果がどう出ようとそれに過度の期待をしなくなるのです。そうなるとなおのこと、結果を悔やむということが小さくなるはずですね。

覚醒した意識は思考を寄せ付けない

あなたは普段思考に乗っ取られています。まずはそのことにしっかりと気づくことが大切です。

そしてあなたの心がいつも何かに駆り立てられていたり、理由のない不安に弄ばれているなら、それは思考のせいなのです。

あなたの本性は思考とは何の関係もないのですが、思考に飲み込まれているために、本性を思い出すことができないでいるのです。

思考が全くやってこない状態になったなら、それはそれはとてつもなくスッキリとクリアな状態になれるのです。

とは言っても、思考そのものが悪いということではなく、思考に飲み込まれてしまっていることが問題なのです。

不安や恐怖や孤独感などに苦しんでいるとしたら、思考があなたにそれを投げてくるからです。

もしもあなたが少しずつ意識的であるようになれたら、その分だけ思考は少なくなって行き、思考をただ見ていることができるようになるのです。

意識的な状態では、思考と自己は切り離されているということに気づくことができるはずなのです。

しっかりと覚醒した意識でいられるなら、思考は自動的にやってこれなくなってしまいます。

思考は止めようとしても止まりません。意識を持って見る側になり、それを極めていった先に勝手に思考が入ってこない状態になるということですね。

今だけが実在

私たちが生きているのは、いつも今この瞬間ですね。誰も過去や未来を生きることはできません。

それなのに、皮肉なことに自我というのは過去と未来がその思考のターゲットなのです。自我だけが、過去と未来に思考を飛ばし続けるのです。

ということは、自我というのはこの生を生きたことがないということです。厳密に言えば、自我は生を知らないのです。

自我が落ちている時だけ、私たちは今この瞬間にいることができるのです。その時には、この生を堪能できるのです。

その状態では、どんな欲望も期待もないだろうし、どんな不満もありません。それらは全部過去と未来によって生まれるものだから。

今だけが実在であって、そこであらゆることが起きては消えていくのです。今が全ての現象が起きる背景なのです。

それは時間などではありません。時間とは過去や未来に思考を飛ばすことからイメージする架空の概念に過ぎません。

言い古された言葉に「今を生きる」というのがありますが、正確には今という背景の中で連続的に現象が起きている状態を生と呼ぶのです。

潜在意識の成り立ち

使い古された言葉ですが、潜在意識という言葉がありますね。催眠療法によって潜在意識に働きかけるなどと表現したりします。

要するに、潜在意識とはマインドの大部分を占める自覚できない領域のことを指すのです。無意識と呼ぶこともあります。

なぜそんな闇の部分が勝手に出来上がってしまったのか、不思議ではないですか?そんなものがあるばっかりに、癒しに手こずる羽目になったのですから。

私なりの説明ですが、自我の成長段階の最も初期の頃に、一つのまとまった人格を形成するために以下のようなことをするのです。

自我というのは自分一人では成り立たないのです。あくまでも外側からの働きかけによって、自分とはこういうものだというイメージを作り出すのです。

そのイメージを固定化していくためには、外部からやってくる情報のうち、それまでに作ったイメージに近いものは取り込み、違うものは排除するということをするのです。

そうしなければ、いつまで経ってもたくさんの人格が集まった、まとまりのない変な人物になってしまうからです。

その取り込みと排除の仕組みを働かせるために、マインドの表面と内側の間に特別な間仕切りを作ったのです。

その間仕切りは、情報を取り入れる時にはスルーできて、排除する時には鉄壁の障壁となって跳ね返すのです。

そうやって内側を守ることで、人格を固定化して行くことができたのですね。それともう一つその間仕切りの役割があるのですが。

ある程度の年齢になってくると、都合の悪い感情や思考をその間仕切りの中に押し込み、表へ出て来なくさせるのです。

それこそが皆さんもよく知っている抑圧の仕組みです。間仕切りの中は、自覚することができないので、とても都合がいいわけです。

そうやって大人になる頃には、マインド全体の90%くらいを占める無自覚領域が出来てしまうということですね。

自分のことは自分が一番よく知っているなんて豪語する人もいますが、そんなことはないということを理解しておいた方が良さそうですね。

物事は通り抜けていく

私は昔から風のようにして生きられたらいいなあという願望がありました。なぜだろうと考えてみて、少しその理由が分かりました。

たとえば、風には目に見えないという特徴がありますね。人知れず在るのですが、時には人に優しく、またある時には厳しい接し方をするときもあり。

また風はどこか特定の場所に居座ることができません。どこからともなくやってきて、またどこかへと当てもなく過ぎ去っていくのがいいのです。

まるで風来坊のよう。その執着のなさがとても気持ちいいのです。何かにしがみつこうとせず、所有しようともしない。

特別な自分というものを持たずにあって、その大きさや形すらいつも変化し続けているのです。

風を人のように見立てることに無理があるとしたら、逆に自分に起こるあらゆる事象をまるで風のように自分の中を通り抜けさせたいと思うのです。

何がやってきてもそれを所有しようとせずに、そしてそれが去っていくならそれはそれでいいのです。

爽やかな春の微風も好きだけれど、それもすぐに消えていってしまうからいいのです。突風は目に埃が入るけれど、いずれは過ぎ去っていくのです。

何であろうと、起きることがあなたの中を通り過ぎていくのを見守っていればいいだけなのですね。

根っこを掴め

もしもあなたが物事の表層ばかりを見て生きているなら、起きることにいちいち翻弄されてしまう人生になるのは確実です。

たとえば、私たちは日々様々な問題を抱えながら生活しているのです。何の問題もないという人はいないはずです。

そうした問題の一つひとつを個別に解決しようと頑張るとしたら、それはきっと徒労に終わってしまうでしょう。

自分の身に降りかかる問題は基本的に深いところで何らかの関連があると気づく人は、問題の奥に潜むものを見ようとするはずです。

問題の根っこは一体何なのか?その問題を作り出しているのは何か?こうした捉え方ができると、一気にまとめて人生が変化し出すのです。

どんな問題であれ、それを作り出し、それを問題として認知し、それにどうにかして対処しようとしているのは、自分のマインドなのだと気づくこと。

あなたのマインドがなければ、どんな問題もありません。マインドがあっても、不活性の状態であれば、問題はうっすらしたものへと変化するはずです。

さらには、あなたのマインドが問題を必要としている理由は何なのか?そこにはいろいろな理由を見出すことができるはずです。

戦うための敵として問題が必要だったり、問題行動を起こす必要があってその問題を引き寄せる等々。

物事の根っこを掴む習慣をつけると、生は思いのほかシンプルだったと気づくようになるはずですね。

原動力を見極める

人生の中で人間は様々なことをします。人から褒められるようなことから、眉をひそめられるようなことまで。

私は懲罰的な考えが嫌いなので、基本的に悪意がないのであれば何をしてもいいと思っています。その結果誰かに迷惑がかかっても、ある程度は仕方ないと判断します。

道徳とか倫理と言った、人はこうあるべきという教えにはあまり興味を持つことが出来ないのです。

要するに何をしてもいいし、何もしなくてもいいというシンプルな生き方が好みなのです。きっと小学校の先生になったら、父兄からバッシングされてしまうかも知れません。

ただし私にも一つだけこだわることがあって、それは何をするにもその原動力をしっかりと見極めることが大切だということです。

ざっくり言えば、原動力とは愛か恐怖です。どちらか一方だけということは少なくて、大抵は両者が混じっているケースが多いものです。

愛が原動力の場合は、それをしたいからするというシンプルさがあるのですが、恐怖が原動力の場合は、未来に安心するためという別の目的があるのです。

前者は分かりやすいですが、後者の場合はすぐには気づけないかも知れません。どちらが多く混ざっているかを見極める一つの方法は、心の疲労度を見るということです。

前者の場合、それを継続しても疲労するのは身体だけで、心は元気なままでいることが出来ます。

一方後者の場合は、心が完全に疲弊してしまい、場合によってはウツ症状が顕れるかも知れません。どこかで継続出来なくなるのです。

努力は報われるという素敵な響きの言葉がありますが、もしも原動力の大半が恐怖であるなら、仮にいい結果が出たとしても精神を病んでしまう事になりかねないのです。

人が努力する姿を見て美しいと思うのは自由ですが、その努力の原動力が何なのかは本当のところ、本人にしか分かりません。

人に褒められようが、あるいはけなされようが、あなたの原動力がどちらなのかだけが大切だと気づくことです。

愛が多いなら満たされるし、その逆なら誰が何と言おうが速やかに撤退した方がいいということですね。