当事者意識はホントに減るの?

今日は昨日の内容の続きのような感じなので、昨日の記事を読んでいない方はまずそちらを読んでからまた来てください。

当事者意識を薄めるためには、一に見る、二に見る、三四がなくて五が見る、というくらいにとにかく見ることを練習する必要があるのです。

この「見る」というのは、外側の世界で何が起きているのかを見るということではなく、その反対に内側を見るということです。

とは言っても、自分の内面を見るとか、内省するということとは全く違うので注意してください。

内側という言い方は、意味を取り違えてしまう悪い表現ですね。内側ではなく、外側に向いていた視線を180度ひっくり返すということです。

向こうではなくこっちを見るということです。すると突然、こちら側には何もなく、ここには捕まえられるどんな自分も発見できないと気づくはずです。

感覚としては、透明で、大きさや形もなく、要するに何もなさをただ見つけることができるのみなのです。

こうした感覚には個人としての当事者感覚などは全くありません。この感覚が新しく追加されるわけです。

その結果、当事者意識が減るような感じがするのでしょうね。それ自体が減るということではないようです。

体のどこかが痛かったり、何かショックな出来事があったりすると、すぐに当事者としての自分が活躍を始めるので、透明な自分は消えてしまいます。

それが当たり前だと割り切って、また新たな気持ちで何もなさを見る練習を再開すればいいのです。とにかくめげないこと。

一つ付け加えると、こちら側に見えているその何もなさの中に、今あなたが見ている外側だと思っていた世界全体がすっぽり収まっていることにも気づくかもしれません。

楽しそうでしょう?是非試してみてください!

3 Replies to “当事者意識はホントに減るの?”

  1. 一に見る、二に見る、三四がなくて五が見る…

    新しい感覚が追加されるように、やってみます!

  2. 当事者の自分が、何もなさにおもいをはせるとき、うまくいく時は、頭の奥の力みがぼわ~んとゆるんでいくようです。これで合っているかわかりませんが…。
    こうやって、行ったり来たりして、その二地点の、いいとこどりだけしていけたらどんなにいいのにな~と思いました。
    あとは、でも、もし何もなさだけだったら、何もないことにも気がつかないのかな?と、ふと考えました。

  3. そらまめさん

    練習あるのみです!

    冬さん

    確かに、何もなさというのは現象界側から見た場合の概念に過ぎませんね。その気づきは深いです!

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