恥ずかしさと信頼は反比例

昨日のブログでは、愛と信頼は手を携えてやってくるというお話しをしました。本質的には両者は同じものだと思ってもいいかもしれません。

ところで、私たち誰もが持っている感覚に恥ずかしさというものがあります。一口に恥ずかしさと言っても、可愛らしい恥じらいのレベルから、恐怖と同等の恥の感覚もあるのです。

この恥ずかしさは特に敏感な人に多くみられる傾向があって、幼い子供の頃から大人顔負けの恥ずかしさを持っている場合も少なくありません。

誰に教わったわけでもないのに、恥ずかしさの中で生きている子供のときのクライアントさんをたくさん見てきました。

この恥ずかしさは信頼が増えればそれに伴って減るのです。つまり恥ずかしさと信頼は互いに反比例の関係にあるということです。

どんな子供も、無邪気さの中で生きているうちは恥ずかしさはほとんど持っていませんので、この状態では信頼がたくさんあったということです。

もちろん無意識的に生きているので、本人としては信頼に対する自覚は全くないのですが、自我が育つにつれて防衛をするようになって、それとともに恥ずかしさも芽生えていくのです。

恥ずかしさがなくならなくてもいいのですが、できればそれを感じつつも無邪気さの方に舵を切るなら、少しずつ信頼も増えてくるはずですね。

4 Replies to “恥ずかしさと信頼は反比例”

  1. 恥ずかしさ、子供の頃からすごく感じてました!!今現在でも、「恥ずかしいー」といういてもたってもいられない気持ちに苛まれることがあります。人に甘えすぎてしまったと気づいた時、空気を読めなかった自分を思い返していたたまれない気持ちになる時とか。もっというと、生い立ちや経歴、なんでも恥ずかしさを感じてしまいます。

    ちょうど数日前、小学生の娘に「恥ずかしい〜」って思うことが(私みたいに)頻繁にあるか聞いたところ、ない、とのことでした!

    恥ずかしい、の感じが周りにうまく伝わらないなと思っていたので、タイムリーな記事でした。

    1. 恥ずかしさも他の感情と同じように、じっくりと腰を据えて味わってあげると、恥ずかしさへの耐性ができてきます。もちろん、恥ずかしくなくなるわけではないのですが、いてもたってもいられない感覚は小さくなるでしょうね。是非試してみてください。

      1. 私のコメントを読んでくれただろうか、と見に来るだけでも、やはり同じ感覚を感じます。恥ずかしい、という言葉だけではしっくりこないけど、言葉にすると「恥ずかしい」感じ!

        一事が万事、これを感じてしまうなんて、通りで生きづらいはずです。そして世の中には、それをあまり感じない人もいるんですね。

        長年続けてきた「忙しさで麻痺させて感じないようにする作戦」が使えなくなってきたので、これはもう、耐性をつけるしかないんですね。

        「信頼が増えればそれに伴って減るのです。」という信頼は、人生に対する信頼でしょうかね。恥ずかしさを100%受け止めてしまっても死にはしないから大丈夫、みたいな。

        大人になっても、消えたくなるような恥ずかしさを感じるのは、何かと辛いものですが、感じるほど耐性がついていくから大丈夫、と自分を励まそうと思いました。

        1. 何を恥ずかしいと感じているかというと、その根っこはきっと自分という存在そのものが恥ずかしいのだという思い込みがあるのかなあと思います。自分という奴が生きていること自体が恥ずかしいという思い込み。どう考えても間違った思い込みなのですが、それが自己イメージの深いところにあるのでそう簡単には変化しないのでしょうね。その思い込みを後生大事に抱え込んでいる幼い自分を見つけてあげるとそこから解放されると思います。

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