耽溺と禁欲

耽溺する者は快楽に執着し、苦痛を避ける。そして、禁欲する者は快楽を避け、苦痛に執着する。どちらのアプローチも間違っている。いずれの場合もあなたはバランスを失う。仏教は、耽溺でもなければ、禁欲主義でもない。それは何も教えない–。それはただ見守りなさい!と言う。

by osho

世間には、耽溺者と禁欲者がいるということですが、実は一つのマインドの中にその両方が含まれています。

どちらのパワーがより強く表面化しているかということに過ぎません。例えば私の場合は、耽溺者が強くて禁欲者は頼りない。

ただ内側では快楽を避け、苦痛に執着する部分があることを知っています。それが出てくると、必要以上に我慢したりするのです。

日頃は耽溺者として快楽に執着する側が表に出ているのですが、その部分が禁欲者であるクライアントさんが来られた時には活躍するわけです。

クライアントさんの多くは、自分が禁欲者であるとは気づいていませんが、戦っているという自覚はあるのです。勿論我慢も苦痛も必要以上にお持ちです。

まずはバランスを取ることが大切なので、一旦禁欲者から耽溺者へとひっくり返る期間が必要なのです。

自分の中には両方があったのだと気づいて欲しいからです。その上で、そのどちらでもない自己の存在に気づけばいいのです。

耽溺も禁欲も、原動力は自己防衛だということを理解できると、より中立になることが容易くなるはずです。

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