当たり前の幸せ

夕べ、セブンイレブンで買ってきた安い日本酒を冷やして飲んでいたのですが、そのお酒のビンのラベルに次のように書いてあるのを見つけました。

「奥多摩には奥多摩の酒がある
そんなあたりまえが幸せに思える時もある
あたりまえを今夜も飲む」

なんだか飲みながらほのぼのとした気持ちになりました。あたりまえが幸せに思えるとは、慣れ親しんだことに感謝の気持ちを感じることができるということだと思います。

以前コラムか何かに書いたことがあるのですが、蛇口をひねれば飲める水がいくらでも出てくることにとてもありがたいと思ったことがあったのです。

雨風をしのげる家や寒い冬にタイヤを転がして自分を運んでくれるクルマも本当にありがたいものです。今この仕事ができるのもインターネットの普及のおかげです。

そういうことは普段忘れてしまっているのですが、何かの拍子にふと感じることができます。いつもあたりまえのようにいてくれる家族や友人もありがたい。

人は誰かの手助けや支援などがなければとても独りでは生きていくことが出来ません。どんな人でも、生きている限り誰かの世話になっているのです。

当たり前すぎて分からなくなっているだけですね。そして、もっと本質的なことを言えば、私たちは生まれたからには生きていく力を何か大きなものから授けられています。

働かないと生きては行けないと思っているのは単なる思い込みなのです。生きていけることを保証されていることに気付くことです。

それが分かると、今日自分が生きているということの当たり前が本当に幸せな気持ちに導いてくれるはずです。感謝しかなくなってしまいますね。