心に浮かぶ思い

先日自分の心に浮かんでくる思いというものには、何も意味はないんだなあというのをしばらく心静かに続けていたら、自分がいかにニセモノの中で生活しているのかということを実感しました。

自己流の瞑想なので、それを瞑想と言ってもいいのかどうか分からないのですが、ただそのようにしてやってくる様々な思いを見ては流し、というのを繰り返すのです。

ですから到底無念無想などというものとは程遠いわけですが、そうして自分の中に湧き上がる思いを片っ端から手放していくのです。

それらの思いは、すべて過去からの遺産だということもそうしたワークの中でいやというほど思い知ることができますね。

今この瞬間に思いというものはないのかもしれません。常に過去の記憶の中から思い出して処理して欲しいと願っている何らかの思いがやってくるのです。

だから思いはいつも過去に生きているのだということが分かります。こうした思いにつかまってしまうと、今を知ることができなくなってしまうのです。

なにがしかの思いが持ち上がって表面化するまで待ってあげていると、必ずそれは次々とやってきては過去を裁こうとするのです。

その時に、そうした思いには何の意味もないとして気持ちよく流してあげることによって、少しずつ過去から開放されて今を知ることができるようになるのです。

過去から開放されると、それは未来をも手放すことになります。なぜなら、未来とは過去に残してきたと思い込んでいるものを解決するためのものだとしているからです。

過去がなければ未来も必要にはなりません。したがって、過去と未来は同時に消えていく運命にあると言うことができますね。

過去も未来もニセモノに違いありません。そのニセモノをホンモノのようにさせてしまうのが、自分の心に浮かぶ思いなのです。どんな思いにも何の意味もないということを常に実践することで、唯一のホンモノである現在を知ることができるのです。