分離は不可能

一つのりんごを包丁か何かで真っ二つにすることができますね。みかんでも、梨でも、柿でも同じことです。果物ばかりではなくて、もっと大きなものでも二つに分けることができます。

原理的にはとてつもなく大きな地球でさえ、二つに分離することができます。勿論それはイメージの中でのことですが。

ところが、大きさが無限大のものがあったとしたら、それを分けることはできるでしょうか?いいえ、それは不可能です。

なぜなら、大きさが無限大ということは大きさの概念がそこにはないからです。つまり、大きさのないものを分離して二つにすることはできないということです。

分かったような分からないような変なお話しですが、実は大切なことが含まれています。私たちが常識的に一つのものを二つに分離することができると考えているのは、有限である世界でのことなのです。

コースは実在とは無限であると言っていますので、分離することは不可能なのです。無限ということは、すべてであるということでもあるので、すべてを分離することもできないのです。

私たちの本質である実在も分離してはいないのです。いま、便宜上私たちといいましたが、私たちはバラバラな個人だと思い込んでいるだけで、実在は分離することなどできない唯一の存在だということです。

それはつまり、自分以外は何もないということ、自分とはあらゆるものの一切合財であるということです。だからこそ、それを分けるということは不可能なのです。

すべてであるからこそ唯一である自分を分離して、一人、二人と数えることもできません。それなのに、私たちの自覚はみんなが別々の心を持っていると信じています。

本当は、誰もがたった一つの心を分かち合っていると言うこともできます。その唯一の心が分離してバラバラになったとしたらという妄想を抱いているだけなのです。

すべてが一つであるなら、攻撃することは不可能になります。なぜなら、ターゲットは存在しないからですね。自分を失うということも不可能です。

自分だけでできる唯一のことは、ただ愛するということだけなんです。だから、本当の私たちは愛することだけが出来る存在だということです。それ以外は、丸ごと全部幻想に過ぎないのですね。

この話し事態が幻想なにか、この分離の世界が幻想なのか、どちらの方が自分にとって都合がいいと思いますか?それはきっと幸せになれるほうを選ぶはずですよね。