人生の不思議さ

まさか自分の人生がこんな風な展開になっていくとは、若いころには想像もつきませんでした。というのも、45歳の頃に病気がきっかけでサラリーマンを辞めるまでは、自分の人生は典型的な、平均的な日本人のものだと感じていたからです。

特別なことは何もなく、誰かに自慢できることも何もなく、事件らしきことも何もなく、ただ淡々と平凡過ぎる毎日を送っていたからです。

自分の生活や経歴を誰かに話して、それを理解されないなどということは在り得ないことだとも思っていました。ところが、サラリーマンを辞めてセラピストになってからは、一変してしまいました。

仕事の内容を詳しく説明しようとすればするほど、思ったようには相手に伝わらないのだということを思い知らされることとなったのです。

仕事の内容だけでなく、自分が感じていることや自分が理解するようになった、人の心についての事柄は、どうやっても平均的な日本人のそれとは全く異なるものとなったのです。

そこで、自分は完全に社会のアウトローになったのだなと実感したのです。それはある種残念なことでもあり、また一方ではとても小気味いいことでもあったのです。

社会から逸脱した生き方、考え方を持っているということは、もうどれほど頑張っても社会の表舞台には出て行かれないということなのですが、それはそれで構わないのです。

この年齢になって、以前よりも更に無欲になってきたというのか、別の言い方をすれば、欲望が一点に凝縮されるようになってきたということです。

人物としての自分がどんな体験をするのかということへの興味が薄れ、代わりに自分の本質へと意識を向け続けることだけに集中したくなったのです。

クライアントさんからの予約が入らなければ、経済的に困ったことになるのですが、ごく最近ではそれも必要なチャンスをいただけたという感覚へと変化してきています。

考えてみると、私くらい恵まれている環境にある人は少ないのかもしれません。雑務らしきものが、毎日の生活から排除されているからです。

思い返すと、不思議な人生です。すべてが整いつつあるということを実感することができます。最後のひとっ跳びは、いつやってきてくれるのか、それともこないのか、楽しみです。