極端を好むエゴ

腕の長いやじろうべいを想像してみて下さい。そして、片側の腕をできるだけ下へ押し下げておいて、手を離せば必ず持ち上がっていた反対側の腕が今度は下へ下がるようになるはずですね。

これを反動といいますが、私たちのマインドも同じようなメカニズムを持っています。つまり、極端なことを思考すればするほど、その反動として真反対の極端が発生するのです。

子供のころに、いい子でいなければいけないと強く思ってしまったら、マインドの自覚できない部分でその反対の自分を作ろうとするということです。

いい子の反対ですから、親にとって都合の悪い子を演じようとしてしまうということです。本人はそれと気づかぬうちにやってしまうこうした行為を、問題行動と呼びます。

大人でも同じです。もしもあなたがいい人でいようと強く思えば思うほど、マインドの奥底でそんな自分なんてまっぴらごめんだ!という真反対が生まれてしまうのです。

もしもあなたが、石にかじりついても幸福になってやる、と強く思えば思うほど、そのすぐ裏の部分にぴったりと不幸がくっついてくるのです。そして何かチャンスがあれば、あっという間に不幸が全面に出てくることになるのです。

そうやって、マインドというのはバランスを取ろうとするということです。これが、いつも言っているある極端さは必ず真反対の極端を引き連れてくるということです。

エゴは総じて極端が好きなのです。なぜなら、極端を実践すればするほど、必ず真逆の極端も実践することになり、これこそが常に闘争していることになるからです。

さざ波ではなくて、嵐のときの大波をそうやって人生に持ってくるのです。それが、闘いなのです。私が子供の時に住んでいた家は、毎年夏になって大雨が降ると、すぐに氾濫する川のほとりにありました。

あっという間に、川の水が地面と同じところまで増えて、その水が激しい濁流となって流れていくのを恐れを持って見ていたのを覚えています。

そのときに、上半身裸でその川の縁を興奮した姿で歩く大人がいました。なんというか、血が騒ぐというのか、喧嘩を見つけてやってくる血の気の多い人などと同じなのです。

誰も頼んでいないのに、俺に任せろ的な雰囲気を持った荒々しい人たちっていますよね。彼らが特別なのではなくて、誰のマインドにもそうした闘いを指向するエゴはあるのです。

もしも自分の中に、極端を好む傾向があると感じることがあるなら、それはエゴに巻き込まれているのだと理解することです。そして、両極端の間にいられるように、どんなものにもしがみつかないように注意してあげることです。