混乱を通して真実に近づく

幼いころ、この世界のことを何も知らずにいる頃、頼みの綱は世間のことをいっぱい知っている親だったのです。親は自分が知らないことを沢山知っているし、自分も早くそのような大人になりたいと思ったのです。

そうやって、毎日を生活しながら様々な経験を積みつつ、自分だってそれなりに世界の道理が分かるようにもなったし、勉強もして知識も豊富になったと思うものなのです。

つまり、自分だって人並みかそれ以上の知識を得ることができて、大体のことは分かるようになったと自負するようにもなっていくのです。

頑張りと努力によって、目標を達成することができるようになったら、あとはそれをより高いレベルへと引き上げていくことで、より人物的にも人格的にも成熟していけると思うわけです。

けれども、こうしたことのほとんどがエゴの策略でしかなかったと気づくときが、いつかはやってくるのです。勿論、人によっては気づかぬままに人生を終えてしまうこともあるはずです。

自分に正直に生きている人であれば、このことに気づかずにはいられないのです。そのとき、大変なショックとともに自分が今まで培ってきた正しさや知識が、何の意味もないものだったと悟るのです。

どうやりくりしたところで、自分の心が全く満たされていないということを正面から見て、それを認める勇気がある人ならだれでも、気づくことになるのです。

覚悟を決めた人から、混乱の中へと投げ込まれることになるのです。なぜなら、自分は本当には何も知らなった、自分はただただ信じていただけだということに、気づかされてしまうからです。

もう、頼りになるものが一つもないということが分かるのです。何かを支えにすることもできないし、本質的には独りだったということにも気づくことになり、奈落の底に吸い込まれていくのです。

そうして徹底的に混乱の中へ入ることができたら、あなたのマインドはその勢力を失うことになるはずです。混乱とは、築き上げてきた煉瓦を根底から崩されることなのです。

もうあなたは、何も知らないし、どんな目的もないし、それについて何とかしようという気力さえ消え失せてしまうのです。それは自動的にエゴの崩壊へと続いていくはずです。

だから、もしも癒し始めたあなたが混乱の中に投げ込まれたと感じているなら、最大のチャンスがやってきてくれていると感謝することです。大そう辛いでしょうけれど…。