徒労に終わる話し

子供の頃、近所に駄菓子屋さんがあって、そこでクジを買って、ものすごく大きな風船を当てようと頑張っていたことがありました。

外れると、ごく平凡な小さな風船がもらえるんですけどね。でもいつか、その大きな風船を当てることができるんじゃないかと夢見て、少ないこずかいを握りしめて通ったわけです。

そんなある時、友達のお兄さんが目の前で残りのクジ全部を買ってしまったのですから、目当ての風船は手に入れたも同然となったのです。

ところが、すべてのクジを引いたところ、その大きな風船には当たりクジがなかったことが判明して、子供心に大人はずるいと思ったものです。

結局、お店のおじさんもバツが悪かったからか、その目当ての風船をくれたんですけどね。決して当てることができないクジを買いに、足繁く通っていたのは何という徒労だったことか…。

けれども、それよりももっともっと大きな徒労に終わる話しがあるのです。セッションにいらっしゃるクライアントさんの中には、物凄く人生と闘ってる人がいるのです。

それは、結局自分を守るため、自分が安心したいがために人生を闘いに費やしているわけなのですが、本当は自分など初めからいなかったと気付いたら…。

それほどの徒労に終わる話など、他にはないでしょうね。でも大丈夫なのです。自分がいないと気づいたなら、徒労に終わったことに落胆する誰もその時にはいないのですからね。