徒労に終わる話し

子供の頃、近所に駄菓子屋さんがあって、そこでクジを買って、ものすごく大きな風船を当てようと頑張っていたことがありました。

外れると、ごく平凡な小さな風船がもらえるんですけどね。でもいつか、その大きな風船を当てることができるんじゃないかと夢見て、少ないこずかいを握りしめて通ったわけです。

そんなある時、友達のお兄さんが目の前で残りのクジ全部を買ってしまったのですから、目当ての風船は手に入れたも同然となったのです。

ところが、すべてのクジを引いたところ、その大きな風船には当たりクジがなかったことが判明して、子供心に大人はずるいと思ったものです。

結局、お店のおじさんもバツが悪かったからか、その目当ての風船をくれたんですけどね。決して当てることができないクジを買いに、足繁く通っていたのは何という徒労だったことか…。

けれども、それよりももっともっと大きな徒労に終わる話しがあるのです。セッションにいらっしゃるクライアントさんの中には、物凄く人生と闘ってる人がいるのです。

それは、結局自分を守るため、自分が安心したいがために人生を闘いに費やしているわけなのですが、本当は自分など初めからいなかったと気付いたら…。

それほどの徒労に終わる話など、他にはないでしょうね。でも大丈夫なのです。自分がいないと気づいたなら、徒労に終わったことに落胆する誰もその時にはいないのですからね。

「全体の一部」という意識

私たちのあらゆる心理的な欲望は、自分は全体から分離した一人の存在である、という間違った思い込みから来ているのです。

その分離感によって、自分と全体とがあたかも互いに対立しているかのような錯覚を作り出してしまったのです。だから、「何かが足りない」と常に感じているのです。

全体とは全く完全に満たされた状態であるのに対して、分離した個である自分は、足りないものを外側の世界から入手しなければならないと感じるのです。

そうやって、人生において次から次へと欲しいものを手に入れていくのですが、残念なことにどこまで行っても、何を手に入れたとしても、「何かが足りない」が消えることはないのです。

救いはたった一つ、自分は全体の一部だということに気づくこと。全体というのは、分割することができないものです。それはあくまでも一つもの。

本当は分離して存在するものなどないのです。それは、素粒子のレベルにまでスケールを小さくするか、宇宙サイズまで大きくすれば明らかなことですね。

何から何までが全体なのです!

時間も物語も思考の中にある

私たちは、時間経過の感覚というものが相対的なものであるということを、経験的に知っています。

例えば、思い切り何かに没頭しているときには、数時間があっという間に経ってしまうし、逆に何かを我慢して苦しんでいるときには、一分が途方もなく長く感じるのです。

こうしたことから言えることは、時間の感覚は思考が作り出しているのだということです。思考と時間とは密接な関係にあるということです。

その証拠に、自分がいない状態においては、全く時間というもの自体がないということが明確に分かるのです。思考が落ちたその瞬間、時間は存在しないのです。

驚くべきことですが、時間は思考の中にあったということです!

あなたが生きていると信じているあなたの人生さえも、あなたの思考の中にしか存在しません。

この世界には、元々どんな物語もないからです。

ただ現象だけが淡々と起きているのです。

自分はいないって、シンプルだなあ

今日もシンプルに…

自分がいなくなるという、あの出来事が起きたことは

死ぬまで決して忘れることはできない

けれども、少しずつ記憶が曖昧になってきてる

あの時に、近くに誰かがいたら

どんなやりとりをしていたのか、気になる

残念なことに、それ以来あれが起きることは

なくなってしまったから…

以上

無と全体は同じもの

あるものを限りなく小さくしていくと、それは極小ということになりますね。一方、限りなく大きくしていくと、それは極大ということになります。

極小を言い換えれば無であり、極大は全体と表現することができますが、この互いに両極にあるものは、実は一つものなのです。

無も全体も、ともに大きさがなく、位置というものもなく、つまり見つけることは不可能なのです。それはあなたに対しても言えることなのです。

もしも、あなたが身体でもマインドでもないと気づいたとします。そうなったら、あなたはあなたがどこにいるのか分からなくなるはずです。

それは、あなたが無であり、全体だからです!

それがあなたの本質なのです。

自分の内面に全ての原因がある!

今日もシンプルに…

人が癒されていくときに

とても大切な岐路に立つときが来ます

それは、自分の身に不都合なことが起きたときに

それを自分以外の周りのせいにするのか

それとも、自分の奥深くにそれを惹きつける

何かがあったと気づくか

前者の場合に、それ以上癒されることはありません!

以上

状況記憶と感情記憶

催眠療法中に、具体的な何かを思い出すこともなく、ただただ感情だけを感じて下さるクライアントさんがいるのですが、これが理想的なのです。

記憶には、状況記憶と感情記憶とあって、残っていると問題になるのは感情記憶だけなのです。感情記憶は、塊りであり、エネルギーなのです。

そのネガティブなエネルギーが、後々の自分を苦しめる結果となってしまうのです。そして、感情を味わう時に、邪魔になるのが状況記憶なのです。

それは思考によって出来ているからです。状況記憶を思い出すということは、思考を働かせていることになるため、それはマインドの仕事なのです。

一方、感情を味わうのはハートであって、決してマインドにできることではないのです。マインドを使えば使うほど、ハートは閉じてしまうため、感情を充分に味わうことができなくなるのです。

状況記憶を使って、辛い過去を思い出すことができたなら、それとリンクしている感情記憶が上がってくるはずです。

それをそのまま味わうために、状況記憶を脇へ置いて見ないようにする必要があるということです。尤も、しっかり感情の中に入っていくなら、自動的に状況記憶は脇へ押しやられることになるのですけどね。