真実は非二元

コインの表と裏が必ず存在するように、この二元性の世界は常に相対するものがペアで存在することで成り立っているのです。

好きがあれば嫌いがあり、信じるがあれば信じないが同時に存在するのであって、どちらか一方だけでは存在し得ないのです。

役に立つことをしようとすれば、それは同時に不利益を伴うことになるということを知ることです。このことは、視野を狭くすることで気づけなくなってしまうのです。

たとえば、愚痴を聞いてあげることで相手の気持ちが晴れるなら、それは役に立ったと感じるでしょうね。けれども長い目でみれば、そのことで相手が自分を見つめるチャンスを台無しにするとも言えるのです。

ライオンに襲われるシマウマを見れば残酷なことに映るのですが、それで生態系が成り立っていると分かれば、残酷さの中にも救いがあると分かるのです。

このようにして、私たちは二元性の世界で生きていることを忘れなければ、安易に誰かの役に立ちたいなどということも言わなくなるのです。

同様にして、物事の正しさにもしがみつかなくなるのです。自分の正当性を頼りにしている人は、相手の間違いを拠り所にして生きているのです。

正しさだけでは成り立たないからですね。自己の全体性に戻る時、正しさも間違いも同時に含んでそれらを超越していることに気づけます。

この世界を捉える思考が二元性を作り出すのであって、真実は非二元なのですね。そこにはいいも悪いもありません。