理由のない至福感

戸外にいて気持ちのいい季節になってきましたね。気がつくと自然に深呼吸をしていて、柔らかな空気を胸いっぱい吸って、静かな恍惚感に浸っていられます。

寝っ転がって青空だけが目に入るようにしていると、メガネをかけていても外しても、見え方に違いがないことに気づいて小さな驚きを感じます。

奥深いものを見るときには、視力というものは意味をなさないんだなと思ったりして。次に、張り出してきた清潔そうな真っ白な雲を見ます。

ほんの少しずつ形を変えながら動いている雲を愛おしいと感じていると、ふいにあの雲は外側にあるように見えていて実は距離がないと感じるのです。

その雲との一体感、その雲は自分の内側にあるという感覚を味わっていると、そんなわけないだろ!という皮肉な考えがやってきて、気持ち良さを台無しにするのです。

思考はいつだって、そのようにして理由のない至福感を否定してくるのです。なぜなら、思考にとって理由のない満足感、至福感は脅威だからです。

思考の存在価値が危うくなってしまうからなのです。そんな思考さんを可愛く感じながら、ただただ何もなさの中に在ることの至福こそが唯一の実在だと直感するのです。