マインドと共に見抜くことはできない

仏陀は救いに至る道を語る。
が、道もなければ救いもない!
では、彼は何を言っているのだろうか?
彼は、道もなく、救いもないと言ってるだけだ。
見なさい!すると、救いは起きている。
行くところはどこにもない。
それを見れば、あなたは行き着いている!
それは、それを見抜くという問題だ。

by osho

真実はどこかにあるのではなく、いつも今この瞬間にここに在るということです。問題は、それを見抜くことができるかどうか。

マインドという思考の塊が作り出した物語の中に住んでいる限りは、決して見抜くことはできません。なぜなら、物語は時間の中にあるからです。

ニュアンスで言えば、ちょうど幼子が目の前に展開されている事象を、目を見開いて興味深げに見入っている姿を思い出せばいいのです。

その目を見開く感じが、結果として見抜くことになるのです。幼い子はいつも驚きの中にいるのですが、見抜いていれば驚きを禁じ得ないはず。

物語の中では、何かを見たときに、マインドがすぐにああこれは以前見たことがあると判断して、驚くに値しないとしてしまうのです。

それが安心する一つの方法なのですが、一粒の安心と引き換えに大切な驚きの感覚を失ってしまうというわけです。

瞬間瞬間、どれだけ驚きを持って生きているか、検証してみるといいと思います。マインドが鎮まればそれだけ、穏やかな驚きがやってきてくれるはずです。