山は平地があるから山でいられるのです。谷があれば、山の高さはもっと際立つことになりますね。
もしも山ばかりであれば、それはもはや山ではなくなってしまいます。喜びがあればその分悲しみもあるということ。
歓喜が大きければ、落胆もひどくなるのです。そうやって釣り合いが取れるわけです。もしも歓喜が続けば、それが普通になってしまうのです。
物事をそんな風に見ていられるといいですね。ところが残念ながら、私たちは都合のいい方ばかりに目がいってしまいがちなのです。
どちらも同じように見る訓練をするのです。すると物事を捉える感じ方に変化が現れるのです。
嬉しいことが起きて、それを喜んだり楽しんだりするのは当然のことですが、悲喜こもごもの出来事が起きる生全体をも楽しむのです。
それはちょうど真ん中にいること、そこからあらゆるものを眺めるのです。幸不幸もその位置から眺めると、どちらかに偏らなくなるのです。
その位置を中道と呼ぶのです。中道は歓喜も落胆もない代わりに、ただ至福があるだけになるのです。
物語からも離れた位置なので、自我の立場からするとつまらなく思うかもしれませんが、深い至福感を体験したらそんなこと言わなくなるはずです。