「なる」ことと「ある」こと

私たちは常に「なる」ことを考えています。子供の頃からどんな自分になりたいのかを考えさせられましたね。

将来の希望とか私の場合はなかったのですが、卒業文集なるものに投稿しないといけないので、何とかでっち上げで書いた気がします。

もちろん将来の自分像がはっきりしている人の場合はそんなくだらない悩みなどなかったことでしょうね。

心の深いところで人生に対して文句を抱いていると、未来のことなど真剣には考えることが難しくなるのだと思います。

幸か不幸か私の場合はそんな感じで、どこかでひっそりと絶望していたので、目には見えない何かへの探求の方に興味が向いたのです。

で、はたと気づきます。そうだ、何かになるということが大切なのではなく、ただ在るという存在の不思議さを感じてみようと。

社会を肯定したり否定したりする代わりに、いつも一緒にいる自分という存在を見ることにしたのです。

いわゆる内省のような自我を見ることも非常に大切ですが、それとは別にただ在る自分を見ることはより真実に近づく方法だと分かったのです。

と同時に、存在を見て感じることは「なる」ことからは想像もできない静寂の中へと入って行けるのです。実践するしかありませんね。