今日もシンプルに…
あなたを一つの円だとすると
あなたの表面意識(エゴ)は、ちょうど円の円周上にある
だからどれほど成長したと思えても
円周上をグルグル回っているに過ぎない
あなたの本質はその円の中心にある
中心は一つであり、ここが不二一元
円周上からは、中心は遥か彼方に思える
以上

1セッション120分9000円
今日もシンプルに…
あなたを一つの円だとすると
あなたの表面意識(エゴ)は、ちょうど円の円周上にある
だからどれほど成長したと思えても
円周上をグルグル回っているに過ぎない
あなたの本質はその円の中心にある
中心は一つであり、ここが不二一元
円周上からは、中心は遥か彼方に思える
以上
昔からずっと疑問だったのですが、離婚したがっている人がいるのに、国がそれを認めないってどういうことなんだろう?と。不思議じゃないですか?
結婚するときには、当事者二人の同意があればOKだというのは分かるのですが、離婚はどちらか一方でもそれを望んだらできるのが自然だと思うのです。
もうあなたとは一緒に暮らしたくないと相手が言っているのに、駄々をこねて離婚したくないと訴える人もいて、それは本当に困ったさんだと思います。
けれども、そういう人がいるのは分かるのです。精神的な問題がその人にあるのだろうと理解できるから。けれども、一体どんな権利があって離婚はさせません!と国が言えるのか?
結局、愛し合っているから結婚するというのは表向きだけで、ある種の保証制度なんでしょうね。一度結婚したからには、愛がなくなったとしてもそう簡単には離婚させませんよ!と。
離婚されたら困る、離婚したくないという人を保護しなければならないために、誰もが認める正当な理由がなければ離婚はしてはならない!ってこと。
だけど、離婚を望む一番分かりやすい理由は、一緒に暮らしたくなくなったということで、それ以外は本当にどうでもいいことだと思うのです。
逆に、法律上は愛があるかないかなど、どうでもいいというのが根底にあるわけですね。そうなってしまったのは、この世界には愛が見当たらないからでしょう。
つまるところ、私は結婚制度に反対ってことです。そんな私が、もうすぐやってくる息子の結婚式の披露宴で、挨拶をするのですから、危険人物間違いなし!
私たちは、日ごろいろいろなことをふと忘れてしまいます。やっとのことで思い出すことができて、スッキリしたということは誰もが経験していますね。
ところで、もしもあなたが一度忘れてしまったことを思い出したら、その途端にあなたが消えることになると分かったら、どうするでしょう?
勿論消えたくはないですから、思い出そうとはしなくなるはずですね。それが、私たちの誰にも今起きていることだと言えるのです。
つまり、私たちは一人残らず自分自身の本質を忘れた状態で生きているのです。そして、もしもそれを思い出すことができるなら、その瞬間にあなたは消えてしまうのです。
それが覚醒なのです。光明を得るとも言ったりします。だから、誰もそれを思い出したくないわけです。思い出すとなぜ消えてしまうのか?
それは、自分の本質を思い出すのは、我々ではなくて本質そのものだからです。本質から見れば、でっちあげられた自我は、その瞬間幻のように消え失せてしまうのです。
でも大丈夫。あなたは消えても、あなたの本質はそれ自体への気づきとして在り続けるのですから。
誰もが自分もいつかは死ぬと知っていながらも、まだまだ死なないだろうと思っているのです。いわゆるお年寄りの人であっても、それは同じかもしれません。
けれども、それほど長くはないかもしれないと、死を現実的な感覚で捉えるようになると、生はもっとシンプルなものになるはずなのです。
死をリアルにイメージするだけで、自分の生がシンプルに感じられるようになるのです。ということは、まだまだ死なないはずとして生きることが、どれほど無駄なことか…。
墓地が村のはずれに置かれたのも、死を身近なものとして見たくないという表れかもしれません。あるがままの自分を肯定できずに生きた場合、死は最悪のものとなるでしょう。
なぜなら、自分を肯定することができずに人生が終わってしまうのですから。けれども、肯定するのに一体どんな理由が必要だというのでしょうか?
自己肯定は、今この瞬間にもできるのです。そこに理由は必要ありません。逆に理由が必要であるのなら、それは本来の無条件の受け止めにはなっていないということです。
もしもあるがままの自分をただ受け止めることができるなら、死は決して悪いものではないと分かるはずです。生きてようと、それが終わろうと、なにも問題はないのです。
しっかりと内側を見る練習ができているなら、きっといつ死が目の前にその姿を顕すことになったとしても、慌てずにそれも受け止めることができるはずです。
生が悪いものではないと分かるなら、死も悪いものではないと知るのです。惨めさを隠し持って死に直面するなら、間違いなく輪廻は続いていくでしょうね。
私たちの誰もが、時間の流れの中にいると思い込んでいるのですが、もしもその流れと一つになることができるなら、その時には時間はないと気づくことになります。
勿論、その中にいた自分も消えて、ただ在るだけの自己になるのです。心を静かにして、ジ~ッと時間の流れに身を任せてみて下さい。
コツを掴むことさえできれば、時間の流れに逆らわずにいることができるなら、間違いなく時間と一体になることができ、その時には本当に時間は消えてしまうでしょう。
このことは、どんなことにも共通して言えることです。たとえば、あなたのマインドの中に怒りがやってきたとしたら、その怒りをどうにかしようとする代わりに、その怒りと一つになるのです。
怒りがあるというよりは、あなたが怒りそのものになるということ。そうなると、怒りはきっと消失してしまうはずです。そしてあなたも消えるのです。
あなたが消えたその瞬間、あらゆる問題も消えてゆき、あらゆる苦悩から解放されることになるでしょうね。なぜなら、すべての問題の大元は、あなたの存在だったからです。
自分がいるという思考が落ちてしまえば、この世界はまさにパラダイスなのです!
いつ何をしている時も、自分の内側に何もせずにいる存在があることに気づいていますか?
歩いている時も、それはただ何もせずにじっと自分を見ているのです。
食事している時も、誰かと話している時も、本を読んでいる時も、とにかく何もせずにただ自分を見ている存在があることに気づくことです。
その不動の部分こそが、あなたの本質なのです。
私たちは分裂している。
右と言えば左という部分がある。
これをしたいと思えば、してはいけないがあり、
それはしたくないと思えば、それをしなければならないがやってくる。
ただし、自分が分裂していると思いたくないので、
都合の悪い方を意識下に抑圧してしまっている。
これがあなたのマインドの姿。分裂こそがあなたの人格そのものを作ったのだ。
あなたの人格、つまり分裂という病から解放されて、
あなたが一つにならなければ、自分の本質に気付くことはできないし、
あなたは決して満たされることもない。
今日もシンプルに…
思考とは疑いであって
疑いがあればそこに信じることが起きる
疑いがなければ信じることはできない
疑いが強ければ、それを抑圧するために
信念を作ることにもなる
だから疑う心が小さい人ほど
信念が少ないはず!
以上
osho の言葉です
目を持つ人は内側を見る
目の見えない人は外側を見る
目を持つ人は内側にその宝を探す
盲目の人は自分に足りない何かを見つけられるという希望を持って、
世界中を奔走し、乞い求め、盗み、人を殺す
それでは決して見つからない
なぜなら、それを失ったのは外側ではないからだ
あなたはあなた自身の存在の中にそれを失った
明かりはそこで灯されるべきだ!
以上
今日もシンプルに…
自分がやってきたことに
少しでも後悔があるのなら
その原動力は愛ではなかったということ
愛は後悔を産むことができないから
以上